アイスクリームと獅子

好きなものの話、身勝手な文芸

Twitterがあることであまりに自分を苦しめるので思い切ってアカウントを消すことにした

皆がTwitterの様子を見ながらThreadsに移行していく中、私はTwitterのアカウント削除を決行した。
私はTwitterはもちろん嫌いだが、Metaのことはもっと嫌いなので、もしそれが仮にTwitterの使い勝手と似ていて、皆がそこに参集すると言っても、移行したいとは思わなかった。
Twitterをやっていることで起こる苦しさは変わらないどころか、移行することで増えるのではないか、という直感がそこには働いた。
そう言いつつ、私が残した連絡手段はInstagramであり、紛れもないMetaなのだが。
Instagramは今のところおすすめ欄に訳のわからないインフルエンサーの文字ばかりの投稿が出てきてしまうこと以外にストレスはないし、自分が好きなものにいいねしまくっていたらそれも解消されている。

Twitterは私にとって離れたいのに離れられないモラハラパートナーのような存在だった。
Twitterは永遠にコンテンツが流れ込み、雑誌や映画や漫画のように、終わりがない。
いつでも気軽に暇つぶしができてしまう反面、暇つぶしが暇でない時間にまで侵食し、私の時間を奪い取っていた。
そして、自分が見たくもない投稿をたくさん摂取し、それらは私に負の影響を及ぼした。
自身の承認欲求、誰かとの比較といった自意識からくる問題もTwitterによって手がつけられないほど膨張した。
それでもなお私はそれらを見ることがやめられずにいた。
Twitterで呟いたり、更新の終わらないタイムラインを永遠に上に上に巻き上げていく感覚は、もはや私の身体の一部のようにフィットしていて、それは私の茫漠とした憂鬱を少しだけ紛らわしていた。
しかしその気分の落ち着きも、もはや効果はなくなり、Twitterによる自分の心身への悪影響が、その落ち着きよりも圧倒的に上回っていることに気づき、私はTwitterをやめることにした。
このアカウントは私にとって自分が作ったものを宣伝したり、人の宣伝を応援したり、なにか企画(歌会など)に参加するために必要なものだったが、もう諦めた。
アプリを消しても、時間制限をかけても無駄だった。
Twitterと距離を取る方法なども調べたが、私には無理だった。このアカウントが存在していること自体が、私にとっては害悪だと結論した。アカウントを消す以外に方法はなかった。アカウントがあることで得られる利益を諦める以外に方法はなかった。
それよりも自分の心身の方が大事だ。


7/7追記
Twitterを消した後、とてもスッキリとした気持ちになり、気分が晴れた。
おかしな話で、消すと決めた瞬間から私の心は爽やかになっていった。
これでTwitterにまつわるあれやこれやに悩まされずに済む、それは、私の精神に非常に良いことだったのだろう。

Twitterで私は色々と自分の感情や行動を規定するための言葉を呟いていたが、それらは今Discordが担っている。自分一人だけのサーバーとそれ用のチャンネルを立て、そこに呟いている。
Twitterをやっていた際、「見られていることが大事」と言っていたが、特に見られていなくても問題はないように感じる。
ある程度まとまった長文を書きたいならScrapboxを使う。
これでことはたりている。