アイスクリームと獅子

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絵を描くのが苦しかったけどだいぶ楽しめるようになってきた

去年(2022年)の5月、お絵かきをするためにiPad第9世代を購入した。  
Apple Pencilやお絵かき用のフィルム、iPadカバー、それからお絵かき用のアプリであるProcreateも購入したから、合計すると結構な額になる。  
自分がやりたいことに大きいお金を投入したのは、高校二年生の時に御茶ノ水で買った3万円の中古アコースティックギター以来のことだった*1

元々、紙とペンでのお絵かきは物心ついたときから気が向いたときにしていたけれど、うーん、なんでデジタルにしたくなったのかを書こうと思ったのだけど思い出せなかった。  
まあとにかく去年の私は、iPadApple Pencilで絵を描くことへの期待に胸を膨らませていたわけである。

ところが、楽しみたかったはずのお絵かきタイムは、苦痛を伴うものになってしまっていた。  
なぜだろうか。描けないから、それは確かにそうかもしれない。私は別に絵がうまいわけではない。というか、だからこそうまくなりたくて描いているのだ。  
しかしただそれだけのことであれば、練習すればうまくなっていくものだし、そんなに苦痛になるほどのことではなかった。  
問題は、絵を描いていると、自分自身のダメなところと向き合っているかのように思えてくることだった。  

曰く、人間がダメだから絵もダメなのだ__。

 

まっさらなキャンパスが怖い

絵を描いていると、自分がダメであることを突き付けられる感覚というのは、いくつか具体的に言えるものがあったと思う。  
思うにこれは、お絵かきというのが自分の身体の癖が全部出る行為だから、ではないだろうか。

  • 最初から完璧を目指そうとしてしまう
  • 調節しながら完成に近づいていく、という過程に耐えられない(ほぼ上と同じことだけど)
  • 早く完成させたくて細部を無視する(結局仕上がらない)

まっさらなキャンパスに向き合うと怖くて、とりあえず書いてみるのだけど自分の絵がひどくて、いつまでたっても完成しないのが怖くて、もうとにかく怖かった。まっさらなキャンパスだけじゃなくてずっとキャンパスが怖かった。  
線のゆがみは自分の心のゆがみのあらわれなのだ、と思った(もうこれは身体とか画力とか関係なく精神状態が単に悪かっただけでは)。

このまま模写だけをしていても(自分が絵を描くのはもっぱら模写である)、自分が描きたいものを描けるようにはならないのではないかという先の見えなさからくる絶望感。焦り、不安。自分にはもとより描きたいものなんて何もなかったのではないか、という疑念。  
それらはまるで、お絵かき以外の創作活動のことや、延いては自分の人生のアレゴリーのようで苦しかった。

 

それでも絵が描きたかった

絵を描くことが苦しいのをどうにかしたくて、Google検索窓に「お絵かき 苦しい」などと入れて調べていた*2。  
絵を描いている先人たちが紹介している練習方法は模写だった。  
模写か…それはもうやっている…っていうか、模写しかできないんだよな…。

あるブログが、グリッド模写なるものを紹介していてそれを真似することにした。  
キャンパスにグリッドを付けて、自分が模写したい画像をキャンパスに読み込んで、それで描くのだ。  
この方法を取ったら、いかに自分が想像で線を引いているかが明白になった。  
この辺かな?と思って引いた線は、グリッドを指標に元絵と比べると全く違った場所にあった。


大げさだけど、まじでこんな感じだ。  
なんかでかくて、アレ?! この線はこの升目から出ていないんだ…の繰り返し。  
この間も、先に書いたような苦しみは続いていた。  

 

苦しくない絵の描き方の模索

でも、自分が苦しくないような絵の描き方ってどういうものなのだろう…ということを考えるようにしながら、枚数を重ねていくうちに、だんだんと苦しさが軽減されていった。  
その描き方は以下のようなプロセスを踏む。  

  1. ざっくり形を捉えるラフスケッチをする
    めっちゃスピード重視。どうでもいい。なんとなく何が描きたいのかギリ把握できるくらいでOK
  2. 形を整える
    もうここで色も塗ってしまう。また、別にここでは元の絵と同じ色を塗る必要はない。ここの塗りの目的は、面積を把握する助けになるものだからだ。線をいつまでも追いかけていると疲弊するし、塗るとどっちの方が広くて狭い、といったことがわかりやすくなる。
  3. 形ができたら、それをなぞるように線を引く
    線を綺麗に引く気持ちよさが欲しいので、このときには元絵を見ない。
  4. 線画を塗っていく。 
    ワンレイヤーでの厚塗り。色ごとにレイヤーを分けるのが定石だが、今の私にはそのプロセスを踏むと気が遠くなり苦しいし、厚塗りをすることでより形を精錬させることがたやすくなる。線はせっかく描いたものだがあまり気にせずに元絵と比べながら塗っていく。

驚いたのは、この描き方を幾分かしていたら、グリッドなしで線を引くということも苦痛ではなくなってきたことだ。  
あ、ここに引けばいいんだ、ここに引いてあるっていうのが、元絵を見ながらできるようになってきた(まだ自分のものになってないから、グリッドと塗りの力を借りて描くのを重ねる必要がある)。  

 

お絵かきと『ライティングの哲学』

まっさらなキャンパスを前に心が折れるなら、まずは適当でいいから描きたいものの形を掴む。そこから始まっていくのだと思った。  
これを書きながら、私は『ライティングの哲学』に書かれてあった「制限を作り出す」ということを思い出していた。
『ライティングの哲学』は、名前の通りライティング=執筆をどのように進めていけばいいのか、ということが書かれてある座談会形式の本だが、その初めには、何も執筆することだけではなく、すべての創作活動に関わる哲学であるということが述べられている。  

ここではたまたま「書くこと」がテーマとなっている。けれどもっと広く柔らかく「つくること」と読み替えてもかまわない。書くことの哲学、あらため、つくることの哲学と!  


『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』

 

その中でも私が特に印象に残っているのは、庭の作り方の話だった。

たとえば何トンもある巨大な岩を、数人がかりで半日かけて据えたとします。そうすると「うーん、もう少しこうしたい……」と思っても、もはや動かせない。いや、できないことはないんですが、それにかかる労力と費用はすごいし、すでに全員汗だくで疲れ果てている。樹木なんかも大きいのを入れてしまったら、イメージと多少の違いがあってもある程度で仕舞いにして次に行こう、となる。  


『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』

 

庭を作る時は、まず石を置いてしまうのだと言う。そこから、どうしていくか考える。その連鎖で出来上がる。
絵の場合、置いたものもあとから取り消すことができる。それに模写の場合には、明確に作るべきゴールが決まっている。だからここで述べられている「制限」という概念のほうが、より厳密な制限の感じがするし、その制限が完成までも規定するという点では、違うのだけれど、何もないキャンパスを前に格闘しようとするのではなく、まず何か置いてみる、という視点。
それは、次に自分が引く線や塗る面を規定する。制限がむしろ、絵を描くことを推進させる、という点では、模写も同じだな、と思った。

 

最初から完璧を目指さなくていい

お絵かきに伴う苦しさの軽減の過程で、「最初から完璧を目指さなくていい」ということが実感として理解できたことは本当に素晴らしい事だったと思う。  

まず描いてしまうこと。細部はどうでもいいから、全体像を把握できる程度に。そうすると気になる場所が目に付くから、そこを直して、すると別の場所が気になってくるから直して、気になるところがなくなったら終わりだ。……と、これを書きながら、まるでプログラミングじゃないか、と思った。  

プログラミングでは、それ用のツール(エディタのこと)を使ってモノを作っていくわけだが、このエディタは優秀なので、書いたコードに間違いがあるとWordの校正機能よろしく「まちがってるよ!」というのを赤線で教えてくれる。
こんな機能が必要だなー、と思いながら機能を書いていくと、「そんな機能ないよ!(まだ書いていないのだから当然だ)」と教えてくれるから、その機能をどんどん追加していく。その途中で、「この機能にはこれが必要だよ!」とか「その機能は使えないよ!」とか「文法間違ってるよ!」とかいろいろ出てくるから、それらを全部なくしていく。この赤線がすべて消えたらひとまず実装が完了する、というわけだ。  

お絵かきは、別にお絵かきアプリが間違ってるところを教えてくれるわけではないから、自分の観察眼を鍛えなければならず、それが難しいところであり、面白いところなのだろう。

 

終わりに。絵がダメだから人間がダメということはない

さて、長々と書いてきて、3000文字を越えているらしい。  
自分が書きたいことは書ききったように思う。  
ここまで書いてきたことをまとめると以下のようになる。  

  • お絵かきするのが苦しかったけどいろいろ工夫をしながら続けていたら苦しくなくなったよ!
  • 工夫というのはグリッドを使ったり厚塗りをしたりさっさとラフを完成させたりということ
  • 模写ばかりしていてもうまくならない、という不安は上の工夫から画力向上を実感できたので軽減されたよ!

そして、これが最も重要なことだけど、絵が上手く描けないことを発端にして自分自身を追い詰めなくてよい
人間がダメでそのダメさが絵に表れているのではなく、単に絵がうまくないだけだし、絵がうまくならないなら絵がうまくなるような練習を重ねていけばいい。  
練習を重ねても全然うまくならない、永遠に自分は絵がうまくならない、それは自分がダメだからなのだ、なんていうふうに思わなくていい。  
自分のダメさは確かにあるかもしれないけれど、それと向き合うような気がして辛くなるかもしれないけれど、絵はそのために描いているわけではなく、自分が楽しく豊かに暮らしたくて描いているのだ。  
絵はそんなに簡単にはうまくならない。それだけの話だ。大丈夫。楽しみながら絵を描く方法を探そう。

本当にぐだぐだと書いてきてしまったのだけれど、もし私みたいに、お絵かきを趣味で初めてみたけど全然うまくならなくて自己否定に苦しんでいる人(そんな人いるんだろうか)に届いて、少しでも楽になってもらえることがあったらこんなに嬉しいことはありません。

 

 

*1:そう考えると、自分のやりたいことにお金を投入するということをしていない人生…。あ、大学生の時にPS4買ってた

*2:私はすぐに自分の悩みをGoogle先生に相談してしまうのだが、この方法はあまり良い解決方法ではないような気もしている