アイスクリームと獅子

好きなものの話、身勝手な文芸

学生の頃よりも自分の存在を許せるようになっているのかもしれない

頭痛がしていて、何もやることができず寝っ転がっていると、色々と考えてしまう。

生きてるだけでOKだと思えるようになりたい。

 

そういえば、学生時代は本当によく死にたいという言葉を口にしていたなと思う。今よりもはるかに多く死にたいと口にしたり紙に書き出したりしていた。

思うに、「死にたい」という4文字が、もはやお守りのようになっていたのだと思う。

死にたいと思うほど辛くて苦しくてこの世を諦めたいと思ってるんだから、許されるだろうと。

ああ、そうか。今、書いて、「許される」という言葉が出たことに、ハッとした。

許されたかったんだな。許されたいんだな。

 

何もやる気が出ないのも、何にも熱中できないのも、何かを成し遂げられないのも、そもそも何もしたいと思わないのも、何もうまくできないのも、その4文字を唱えれば、希死念慮に溺れているその間だけは許されているような気がしていた。

 

そうなると、どうして今の私は、以前よりもその4文字を唱えなくなったんだろう。

以前よりも私は私が存在していることを許せるようになってきたのだろうか。

 

これを書く前、私がその4文字を唱えなくなったのは、そのように訓練したからだ、と思ったり、死にたいと思っているとマジで死ぬということに気づいたからだと思ったりした。

死にたいという思考に支配され続けながら、お金を稼ぎ、自分の食べるものを自分で用意するのは、これはきつすぎるということに気づいたから、私はその思考を追い出すための実践をした。

もしこれを学生の頃の私に言ったら、きっと「だから生きていきたくないのだ」とさらに絶望させてしまうだろうなと思った。

 

でも、多分、私は少しずつ、私が存在していることを許せるようになってきたのだと思う。

ただ存在しているだけの自分でも許せるようになってきたのだと思う。

まだ、好きと言えるほどではないけれど。

 

追記

ペシミストにすらなりきれない!!!