アイスクリームと獅子

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ブログを書こうという気にならなくなっている

2017年にブログを始めて以来、「どうしてこんなことを世界に向けて公開しているんだろうか」という掴みどころのない居心地の悪さをずっと感じていた。一向に答えらしきものは得られず「自分のために」書いているという言い訳のようなことを繰り返していた。

私はずっと、私みたいな人間が生きていることを(何かから)許されたかった。もっと言えば、私の全てを理解してくれる相方のような存在のことをずっと思っていた。あるいは、私の全てを愛してくれる運命の王子様のことを。おとぎ話を空想していたのだ。
私は許されたかったし理解されたかったし愛されたかった。自分のために書いているなどと高尚な嘘を吐いていた時の私は、私が生きていることを許していなかったし、私のことを理解っていなかったし、愛していなかった。自分は生きている価値のない人間で、生きているだけで世の中にとって害悪な存在だということを、破綻した論理でQ.E.Dしていた。

私が書きたかったのはそういうことではなく、書くことを通して得たかったのは「いいね」ではなかった。
私が書きたかったのは私にとっての「ほんとう」のことだった。いつもどこか隠しているような気がしていた。最近、これが「ほんとう」かもしれないと思うことがあった。だけど、それを私以外の人が見られる場所に晒したいとは露ほども思わなかった。むしろ私は私にとっての「ほんとう」を私だけのものにしておきたいと思った。もしも本当に大切で大好きな人が(それこそ人生を共にしたいと思えるような人が)できて、それを見たいと言ってくれたら、こっそり見せてあげてもいいかもしれないとも思った。でも私はそんな人が現れないことを知っている。

私は「自分のために書く」なんて嘘をもう吐きたくなくなったし、吐く必要もなくなった。「ほんとう」のことはここではないところで見つかったし、自分の愛し方や自分を愛してくれている人の存在を知ったから。
だからといって今更「自分以外の何かのために書く」なんていうことはできないのだと思う。目の前にいる大切な人のことを喜ばせるためなら無償でだってなんでもできるが、顔も知らない、そこにいるかどうかすらわからない何かのために書くなんて、そんなに「書く」ということはたやすいことではないのだ。私に「書く」ことを通して届けたい「想い」など元より何もない。