アイスクリームと獅子

好きなものの話、身勝手な文芸

書くことを通して考えたいから、私はここに戻ってくることにした

二か月前、もうここには戻ることはないだろうという気持ちで記事を書いた。

icecreamrion.hatenablog.jp

どうして戻ってきてしまったのだろう。
別にそんなことは読者にとってはどうでもいいことだろうが、私としてはそれを考えてみたくなった。

私は私になりたかった。
私ではない何者かになることはできないということを、ようやく悟ったからだ。
私が私になるために、このブログとこの人格が邪魔になると思った。
結論から言うと、それは間違いだった。

これまで私がアイスクリームと獅子でやってきたこととは一体何だったのか。
私は別の人格と別のブログを切って(新しく作って、の意)、私の城としようとしていたのだが、この二か月間何とも言えない違和感が胸の内に降り積もり続けることとなった。
書いていても、その記事に一ミリも愛着がわかないのだ。
自分が何をしたいのか、何が書きたいのか、わからないままもんもんとしていた。
客観的に自分の書いたものを見て、私がこのブログのファンになることはまずないと思った。
私ではない誰かが、その記事を書いていると言われてもどうとも思わないと思った。

私は一体、「書く」ことを通して何ができれば満足だったのだろう?

メンタルの調子がおかしくなり、私はブログを書くのをやめた。

私は、「よいもの」を作りたかった。
あなたの心に刺さり、世界を刺すような「よいもの」を。
そうして私は私になり、幸福を感じたかった。

私がインターネットに物を書けなかった理由はただ一つ、自分が臆病だったから、だ。
自分がここを去ろうとして、結局戻ってきたのも、同じ理由だ。

別のブログをやろうとした時、思ったことがある。
このブログは一体誰に読まれるのだろうか、ということだ。
Bloggerというブログサービスを使ったのだが、コミュニティがないから、読まれるには、Googleなどの検索エンジンで検索されるしかない。
検索に引っかかるためには適切なキーワードを用いたタイトルをつけ、適切に見出しを置くといった工夫をしなくてはいけなかった。
そういうことを踏まえて文章を書いてみようとすると、不思議なことに全く読みたいと思えるものにならないのだ(これは私のライティングスキルがないからともいえる)。
はてなブログやnoteというプラットフォームは本当に素晴らしいものなのだと気付かされた。
自分にとって読者という存在がかなり重要だったということにも。

そうして私はここに戻ってきた。
以前よりパワーアップして戻ってきたつもりだ。
ここをあしがかりにして、私は私の書きたいものを、あなたに伝えたいものを、世界を刺すような「よいもの」を、書くことを通して作りたい。

そして、ここはもう開き直って読者の皆さんに協力をあおいでいくスタイルをとりたい。Youtuberがチャンネル登録・高評価を素直にお願いするのは本当にすごい行動だった。
私もやろうと思う。
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「私のブログはそういう類のものじゃないんでオーラ」が出ていたと思う。
実際以前までの私は少なからずそう思っていた。
誰かに読まれたいなんて思っていません、これは私による私のためのブログなので……みたいな態度。
誰かに読まれることを意識しない文体、は意図的だった。
半分は自分もそういうブログが好きだからだったが、もう半分は私が自分の「書くこと」と本気で向き合っていなかったからだ。
「別に誰にも読まれなくてもいい」は、完全にただの強がりの嘘だった。めっちゃ読まれたいし良いもの読んだってめっちゃ読者に思ってほしい。
そういう本音は満たされることはないだろう、という恐怖から、誰かに読まれることを意識しない文体は生まれていた。
誰かに読まれることを拒否する文体といっても過言ではない。

誰かが読んでくれている、ということが目に見えてわかるのは、すごく強いモチベーションになる。
元からわかっていたと思っていたが、全然わかっていなかったのだと思う。

こんな私の文章でも、好きだと言ってくれる人は多くはないがいて、自分が本を作ったと言ったらはるばると買いにやってきてくれる人がいるというのに、私はそういう人たちの方にも向いていなかったのだと思った。

ここまでだらだらと、自分の書くを推進させるための気持ちばかりを書いてきてしまったが、じゃあこれから一体何を書いていくんだよ、具体的に述べてくれよと思った方もいるかもしれない。少なくとも私は思った。
考え中、ではある。書くことで見つかる部分もあると思う。
実際これを書いていて思ったことが一つある。

私は、これを今書いていてこれから自分がどういうことをしていきたいのかが、おぼろげながらも少しずつ輪郭が浮かんでくるような感覚がした。
次にどのような行動をとればいいのかも、なんとなく分かってくるような。
だから、これをひとつ書く時の目的としたい。
例えば、私はずっとTwitterをやめたいと言い続けているのだが、全くやめることができずにいる。これについて、「なぜやめたいのか」「なぜやめられないのか」「やめるにはどうすればいいのか」「あるいは距離を取る方法はないのか」など、ちゃんと考えてみたことがない。
つまり、自分の問題意識にもとづいて問いを設定して、書くことを通して考えていきたい、ということだ。
たとえ結論が出なくとも、こういったことについて考える過程を残していきたい。だいたい、あまたのメディアは皆簡単に結論を書きすぎている。打倒PREP法。

それから、私はおそらく、インターネットでものを書くということがあまり得意ではない。
それで、だったら、紙の本を作ればいいのだと思った。
そしてそれまでのステップとして、紙媒体での発信、すなわちネプリ配信をしていきたい。
ネプリでは私と同じように文章をインターネット上で書いている人をゲストに呼んで、対談形式にまとめたり、それぞれ散文を持ち寄ったりしたら楽しそうだな、とぼんやり考えている。

私はこれから、以前ここに書いていたような、思考の断片をつぎはぎにして作ったコラージュのような文章や、単なる日記を、もうここには書かないことにする。
それをしてしまうと、私はすぐ「書くこと」に向き合わなくなり、「ひとまず何かしら書いている」という状態に安寧してしまうからだ。
とはいえ、そういうことを書いていないときと書いているときとではっきりとメンタルの調子に違いが現れるということもわかったので、そういうのはとりあえず書いて、公開したければインスタのストーリーにでもあげて、検索もできなければ24時間後には消えてしまうものにしてしまおうと思う。

どうして、こんなことをぺらぺらと書いて、しかも、公開なんてものをしているのかといえば、書くことで、取返しをつかなくさせたい(注;この概念は、『ライティングの哲学』による)からだ。
書き、公開することで、自分が考えたことが、いったん外に出る。
そこから、自分が書いていく推進力になる。自分の思考の推進力になる。
これからする行動の宣言と定義。
プログラムを組むときに初めに変数を定義しておくのと同じだ。

また、書き方について。
私はこれをノートにボールペンで、つまりアナログで書いたうえで、デジタル上で編集をしている。
紙にペンを使って書くことが、とても効果的に思える。
限られた時間の中で、いつでも持ち歩いているデジタル端末に書くことはもっとも効率がよく、紙を持ち歩いたり紙に書いたりするなどというもさいことはやっていられない、という気持ちがあった。
だが、そんな風に自分の時間を奪われてしまって本当にいいのだろうか。
一つの記事を時間をかけて書く、という訓練が私には必要なのではないだろうか。
必然、タイムリーな話題は書かなくなる。


ここまで書いてきて、正直、とても恥ずかしい。
「なんでこんなこと公開する必要があるだろう」という気持ちがないとは言えない。
ここまで読んでくださった人はいないんじゃないかと思う。いたらありがとう。
自分の文章がとても稚拙なものに見えるし、実際そうだろうと思う。
でも、それでも完成稿をいくつもあげて、それで自分の文章は磨かれていくのだろうと思う。
そう信じようと思う。