アイスクリームと獅子

※当ブログはアフィリエイト広告を利用しています←これは景品表示法の改正でみんながしているのをマネして書いたものです。

なぜみんな11月になると「もう11月」とか、「今年ももう終わって"しまう"」とか、「何もできずに今年も終わった」とか言うのだろう。ハロウィンが終わった途端にお店のすべてがクリスマス仕様になるのも、みんな毎年毎年同じことを言う。もうそれいいよ。飽きたよ。何回繰り返すの。

そういう定型の"挨拶文"が、人を安心させるのだろうなと予測はできても、私はそういう会話を聞くとものすごく不安になる。

みんな何かを成し遂げようなんて思ってもないくせに。ハロウィンが終わったら街が一気にクリスマス仕様になることに、本当は何も思っていないくせに。自分の振る舞いが世界の一部を決定づけていることに無自覚で鈍感でいるくせに!

 

何も言いたくない、書きたくない、書きたいことがないんじゃなくて、言いたいことが言えない、書きたいことが書けないってことなんだと思う。私の気持ちはめちゃくちゃあって、でもそれを言葉にしてインターネットに放流したら多分それは誰かを傷つけて、巡り巡って私が傷つく、と思う。批判を浴びる覚悟がない。ないというのは半分は嘘で、信頼できるあなたからの批判は受けたい。私の本当の気持ちは今も、こないだ書いた下書きの中に眠っていて、その公開ボタンを押す勇気がないだけだ。

 

作るって本当に大変なことだよね。だから私は無料で誰でも読める場所はやめてしまおうかとも思うんだけど、はてなの有料化ができるようになったことはいいことだけど、いつ消したくなるかもわからないものを有料にしたくはない、読者にとって不誠実だと思う。かといって本を作ろうというのはとてつもなく大変なことで、どうしてこんなにも、ものを作るのは大変なのだろうと思う。どんなものでも、作っている人に心から私は敬意を送りたい。作りたいという気持ちだけがあり、全く何もできずにいる自分を責めるのも苦しくて、だったら最初から作るなんて思わなければ後ろめたさも感じないじゃないか、って自分の気持ちを無視し続けている。作ったものが売れなかったら悲しいし、そんな惨めな思いをするくらいなら最初からやらない方がマシだと、私は幼い頃からそうやって、何もしない方がマシだと思いながらやってきたからずっと虚しくて、まあそういう考えが結局子供を産み育てることに対する呪詛にもなっているんだろうな。

 

仕事をしている自分のことを自分だと思えない。中途半端に適応できる自分が好きじゃない。学校も、仕事も、ほかのことも。私はいつも、適応できない側に入らない。

 

本当は(この本当も本当なのかどうかわからない)、もう全部やめちゃいたい。苦しいことが健全だったら良かったと思う。死にたいと思ったことがない人たちみたいに、こんな世界をこんな世界だとも思っていない人たちみたいに、なにも気づいていない人たちみたいだったらと思う。でも本当にそうなったところで、今の私みたいな人間は私以外にたくさんいるんだから、それが私じゃないことを証明できないんだから、何の意味もないことだ。私がそういうものが見えない世界に行ったとして、それはみえなくなっただけでなくなったわけじゃない。

何も最初からなかったならよかったのに。そうしたらこんなふうに思うことすらもなくて、何が本当かなんて気にしなくてよくて、苦しいこともなくて、そりゃ楽しいこともないけど、苦しいことがあるよりはずっとマシだと思う。