アイスクリームと獅子

好きなものの話、身勝手な文芸

死なないし生きない

生きるって大変じゃん。だから、生きることの抵抗として、生きないを実践するという手があってもいいんじゃないかと思うのです。
生きることでこの世の中に抵抗する、死なないことで以下同文。そんなのさあ、なんで生きんにゃあかんねん?という身も蓋もない疑問の前にはなんのエンパワメントにもなりやせんのよ。
生きないとはどういうことなんでしょうか。=死ぬことだとしたら、死ぬのは怖いし勇気もないから無理。実践できない。生きない、は、かなり死なないに近いメンタルスタンスだ。
死なないと生きないはほとんど同じだけど、死なないという時に出てくる例えば無理をしないだとか、自分のためのおまじないだとか、自分を大切にするハックだとか、それってセルフケアじゃん。要はさ。
そうじゃなくて、もうな、ふっつーに楽しんで生きることにも生まれたことにも疑問を感じたことのない、自分は普通でみんなも普通であるべきだと思ってる奴らがやってる労働、恋愛、結婚、家族、そういうことをみんな生きると言ってるんだ。目標や夢に向かって努力すること。なんの疑問も抱かずに普通のレールに乗って進んでいき、それを他者にも押し付ける定型発達野郎どもの言う生きるってそういうことでしょ?え?違う?苦しいことも悲しいこともある。みんなそれでも頑張って生きてるんだ、自分だけ辛いとか思ってんじゃねえよ?だからなんでそんな辛いことを押し付けようとするんだろうね?本当にみんな辛いならみんなでせーのでやめればいいだろ。意味わかんねえな。そうやってもがきながらも前を向いて頑張って歩いて、それで乗り越えたら嬉しいじゃん、みたいなことじゃないの?違う?そういう生きるが私たちの息を苦しくさせてるんでしょ?だから私はそれら全部に一生懸命になんてなってやるもんか。俺はお前らのようには生きない。死なないが、生きもしてやらない。そういう強気の生きない宣言をしようということです。

また存在しない敵をでっちあげて怒りの自家発電してしまったわ。
でもさ、女のロールモデルいない問題とかさ、資本主義頭打ち問題とかさ、いろいろありますけど。みんなが今本当に苦しくて苦しくて自分に価値があると思えない人生だとしたら、こんな世の中、今いる子供たちが大人になった時、どう思うんだろうねって話ですよ。こんな世の中を次世代に繋ぎたいんですか?私は全然嫌だね。
今ある価値観とかほんっとどうでもいいと思うし、そうは言っても死ぬのは無理だから。生きないくらいでさ。私が生きて死ぬまでの間に、私みたいな考えを持った人間たちが作る世の中なんて訪れないけど、でもそういう考え持ってる人間はいたよ、いるよ、そういうのが少しずつ息のしづらい世界に酸素が行き渡っていくことに繋がるんじゃないですか。って思ってる。ことをこんなにも怒りの文脈で言っちゃうんだ、だって怒りだからこれは。

この記事、I screamと獅子すぎる。

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