みくのしんの山月記、私が大人になってから再読して刺さったとこと同じとこに刺さってて嬉しかった。本当すごいこと書いてあるよな〜山月記。
理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ
ここです。はあ〜、本当に人生ってそう。理不尽の塊。
檸檬読むやつも私が初めて読んだときみたいになってるとこあって嬉しかったんだよな。
何言ってんだかわかんねえよ!!!笑!!!から、ちゃんと読んでわかった時の感動。すごい。すごいこと言ってるしめちゃわかる。
私もみくのしんみたいに読書できた瞬間ってあったんだなって、思えたのも嬉しかったのかも。
なんかさ〜。みくのしんの読書見てると、小説にのめり込んで小説の世界の中で楽しんでる私が、周りの本読まない人たちに共感されなくて孤独だった時の私が、孤独じゃなくなるような気がするんだよな…。
幼い頃の孤独だったエピソード。
周りの友達がみんなたまごっち買ってもらってるなか、自分は買ってもらえなくて会話についていけなくて、ついに買ってもらった時には友達は2台も3台も持ってたこととか。
友達が持ってた可愛いショルダーバッグが羨ましくて、自分が好きなものを手に入れた時にはみんなショルダーなんか持ってなくてリュックサックを下の方で背負ってたこととか。
みんなは誕生日プレゼントをその当日の前後に送り合っていたのに、自分は夏休み真っ盛りだから誰にももらえなかったこととか。
「みんなはこうなんだよ!」って親に自分の孤独を訴えたら「みんなって何人だ?ちゃんと聞いてきて何人がそう言ったか数えてから言いなさい」って言われたこととか(え、小さい私かわいそすぎん??)。
思い出すと悲しくなるけど、この記事を読んで思い出したそれは悲しくなかった。
小説読んでるとその登場人物たちに混ざって一緒に会話してるような気分になるって言ったら、それはよくわかんないなって言われたこと。その時は確かに悲しかったしそれがなくなるわけじゃないけど、でもその読み方って特別なことなんかじゃなくて、そうやって楽しむことは特別なことなんかじゃなくて、俺もそうやって読んでるよ!わかる!ってタイムスリップしてきたみくのしんに言われたような気がしたんよ。
でも同時に、今の自分の心ってめちゃくちゃカッチカチの固い心になってるなってことを感じてしまう。
心柔らかいとクニュってされて辛くなるから、それは私の生存政略なんだけど、こんな固いところには何の果物も花も育たないので…。
高校の時、学校行くのが辛くて、行きたくないって駄々こねて、母が学校まで車で送ってくれることが何度かあった。
でも、それって学校に行くことしか正しさがないって言われてるみたいで辛かったんだよな。実際、母はそれ以外の正しさを知らなかったのだと思う。
もしも私に子供ができて、学校へ行くのが辛いと言われたら、学校へ行くこと以外の正しさがあるってことを教えてあげたいけど、それ以外の正しさのことなんか私にはわからないし、自信もないから子供を育てるなんてできないなって思う。
私は子供を産むことを道徳的によいこととおもっていないから、別にあなたが子供を産むことは自由だけど、それはいくら人を殺すべきでないと言っても人を殺すことを原理的に他人が止められないのと同じ話なだけ。人を殺すことと同レベルの非道徳と言ってるわけじゃないけど、それくらいのショックを子ども産むことに対して思ってるってことわからせたいみたいな気持ちはあるかもしれない。
私の人生っていつから始まるんだろうって思うこと、ある。
昔よりずっと生きやすくなったし、死にたいと思うこともかなり減ったけど、でもそれはなんかこう…自動運転モードに切り替わっただけっていうか。ああなんだこうしてれば楽なんだっていう知識がついて、じゃあそうしてよう、そうしてるだけで良いかって。
ニュートラルにいれば楽だから。情緒不安定やめたいはかなったけど、情緒豊かになりたいは諦めなくちゃいけないんか?
生きてる実感ってやっぱないんよな。自分の人生を生きてるって実感。
でもたまにあるな。
苦しい気持ちになる漫画を読んだり、しんどい気持ちになったりする歌をカラオケで歌って泣きそうになるとき、生きてるって実感する。
友達とカラオケ行って、しんどソングを何曲歌ってもしんどくなれなくて、「しんどくなりてえよお〜!」って言ったら「なんでしんどくなりたいの??」って心底疑問視された。
35度の炎天下の中さかみちを数分歩くだけで茹だる身体に生きてるって感じる。(夏って生きてるって実感できるから好きって思ってたけど最近はちょっと死を感じるレベルでやりすぎ感ある)
苦しい時ばっか。
あ、でもこないだあったな。嬉しくて生きてるって思ったこと。
もうこれ私信だけど、トリプルファイヤーのアルバムについて書いたやつに一件コメントが届いたときに思った。
こういうことがあるから私は文章書いて全世界に公開してんだなって。このために私文章書いてるって。この瞬間のために。
お返事したかったけどお返事の仕方どうしたらいいかわからなくて(返信するとコメントも公開されるって書かれてて、なんか嫌だよなって)だからここに書こう、もう。
本当にありがとうございます。トリプルファイヤーカッケェって思う人が、私の書いた言葉でトリプルファイヤーに繋がったと思うと嬉しかった!ほんっとそう!!なんです!!ってなって興奮した。こういうとき生きてるって思う。私の言葉がアルバムに向かわせたなんて大それたこと思わないけど、同じことについて言葉を交わせたってことが本当に嬉しかった。
それから自分の短歌が誰かに刺さったことってなかったので、それも嬉しかったです。しかも自分が意図した通りに。自分の短歌って刺せるんだ。そういう類のものじゃないって、自分の短歌は自分は超良いと思ってるけど、人にとってはそうでもないんだろうなって気持ちがあるので。私も刺さってますあなたの言葉がいつも。
固いとこには花は咲かないかもしれないけど、綺麗な石は出てくるかもしれない。
笑えて泣けるコンテンツが一番素晴らしいと思うのね。水曜日のダウンタウンで野田さんがタライ頭にぶつけて泣いた回とか。
私やっぱりユーモアが好きだし、ユーモアがやりたいんだと思う。人と話す時もそういうこと思ってる。もういっそのことユーモアになりたい。生まれ変わったらユーモアになりたい。リズムandユーモア。
だから話したいことあっても、小難しい話と暗い話しかできないなって思う時は、話せなくなる。ユーモアにできるテンションがないと。臆病なだけかもしれないけど。