アイスクリームと獅子

美しいものが好きです

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*これは記事ではありません







はじめに



徒想
徒然草と随想から取った私の造語です。日々の考えていることについて節操もなく書き連ねています。
要は所謂雑記。


読んだ本の感想とか、読後の感覚とかを書いています。ネタバレはないと思います。


ドラマ
見たドラマの感想です。だいたい雑感で、メモみたいな感じで思ったことを書いています。ネタバレしてます。


音楽
その時好きな音楽について書いています。だいたい一曲について好きなところとかなんで好きなのかとか書いています。


映画
映画館で観た映画の感想を書いています。ネタバレしかしてません。たまにテレビとかで観たもので面白いものも書いています。


お笑い
お笑いの番組とかライブの感想です。


日記
日記です。その日あったことと感じたことを書いています。

ドトールと私

ドトールが好きだ。
自分の身の丈にあってる気がする。

ほどほどにおしゃれな店内とカトラリー。
ほどほどの値段。
そして何よりも美味しい。好みの味だ。

ケーキも美味しいし、サンドも美味しいし、飲み物も美味しい。
特にエビを使った料理は本当に最高です。エビがプリプリでとても美味しい。
ココアを飲んで感動したこともある。

ドトールは私にとって恩人、もとい、恩店?なのである。
私の止まっていた時間を動かしたのはドトールだと言っても過言ではないかもしれない。
大げさなのは、自分がよくわかっている。
そのタイミングで、ちょうどその時に行ったのがドトール、それだけだと言われれば反論はできない。
だけど、ドトールにくると安心するし、そういう感じがしてくるのだ。

だし、まあ何より、いつ行っても美味しいっていうのは、強い。

食べ物を食べたとき、美味しいと思っていなかった時期があった。それが当然のようになっていて、気づいてさえいなかった。
それを自覚したきっかけが、ドトールで食事したことだった。

あ、私はまだ、美味しいと感じることができるんだ。じゃあ、嬉しいとか楽しいとかも、感じることができるんだ。なんだ、私の感情も時間も止まっていたと思っていたけど、そんなことなかったんだ。
半ば泣きそうだった。ドトールでものを食べただけといえばそれまでだけど、私はそんなことさえままならない状態だったのだ。

ありがとうドトール
これからもよろしく。

超小旅行

知らない土地に来るとワクワクする。
それがどれだけ自分の家から近くても。
大切なのは、距離ではなくて、1人でいることだ。1人でいないと、感じることの半分以上が取りこぼれる。
あんな建物がこの駅にはあるんだなぁとか、うわー何にもないなぁとか、地元にはない店だなーとか。
お店の中に入ると、例えば見慣れたヨーカドーとかでも、自分がいつも行っているところとは全然違っていて面白い。
コンビニは、どこも似ているけれど。
歩いているだけで楽しいなんて、なんて便利な人間なんでしょう。自分が好きになってくる。
電車とかもそう。今まで乗ったことのない線に乗るだけで楽しい。
最近は、知らないものを知りたくて、知ってるものをもっと知りたくて、海外に行きたい欲が強い。前は海外なんて全く興味なかったのにね。
人は変わるな。
秋の冷たい空気がとても心地よい。
特別な場所に行かなくたって、旅はできるのだ。

トリプルファイヤーのこと



トリプルファイヤーというバンドが気になっていたけどこれを見たらだいぶ好きになった。だいぶ。
今度見に行こうかな。

これは歌なのか?メロディーが出てきたと思ったら消えてゆく。だからと言ってラップでも語りでもなく、一体なんなのかわからない。結局。
なのに楽器隊は恐ろしくかっこいい。
おかしいはずなんだけどどこもおかしくない。違和感が、なぜかない。

そして歌詞がいい。
ただ歌詞について言おうとするとどれもなんだか違う気がする。

#2トラックに轢かれた

自分にとって大切なことも誰かにとっての大切なことも自分が異様に気にしてることも怒りも悲しみも、全部トラックに轢かれたという事象に還元されてしまう。
なんか、穂村弘とかの短歌っぽさを感じた。
40代なのに20代に見えても、知らない人にどんどん話しかけて行っても、マスコミの言うこと全部疑ってかかっても、トラックに影響はない。
トラックはもちろん比喩だろうけどその辺、言うと野暮ったくなるのでやめよ。

#3サクセス

自分が今やるべきことが何かわかっているのにやらない。
だらしない人間ということになるのだろうか、やはりそれは。でも自分って意外と自分の思う通りにいかないじゃん。

もし俺が俺を自由に操れるとしたら
これが俺を動かすゲームだったら
俺をこんなままにしておかないけど
俺はただやらずにいた
一番良いと思ったことを
いつまでもやらずに寝転がってた

寝転がってたという言葉が出てくる驚きですよね。寝転がってるもんね、だいたいそういう時って。

#4SEXはダサい

もうなんか、共感通り越しておかしくなっちゃって笑う。
常識みたいなのを壊してるのに、どこまでも本当のことだ。
正論をどこまでも突き飛ばしているのが爽快なんだ。

日本の大学行ったって時間と金の無駄
日本の大学行く暇あったら
アプリ作りなさい

映画100本観るよりインドに一回行った方がいい

死にたいって言ってる奴どうせ死なない

笑ってしまう。確かにそうだと思う。
と思わせたのにもかかわらず

ごめんその時はそう思った
その時思っただけなんで別に
今はそうでもありません

と自分の言ったことを全部ひっくり返すという無責任ぶりよ。清々し過ぎていっそ最高です。

#6人生を変える言葉

だいたいこの手のことをシンガーが歌うと、嘘にまみれた歌詞になるんだけど、トリプルファイヤーはどこまでも本当のことを歌う。
人生は変えられる。だってそんなに意味がないから。

誰か見たら何も為してないように見えるこんな日々だっていつか
何かの肥やしにならないとおかしい

ヤンマガとかYahoo!ニュースのコメント
まとめサイトを見てるだけの
毎日だったとしても
人とはちょっと違う角度から
物みる力ある俺なら
ゴミの中にも大事なもん
見つける力がある

自分が生きてるプライドみたいなものなんじゃないですか。
どんなに自分がクソ人間だとしても、人生変わるし大丈夫、みたいな気楽さで生きていけたらいいのにね。

#9銀行に行った日

キラーナンバー。やと思う。
銀行に行った。それだけの曲。
ずっと行かなきゃいけなかったのに行ってなかった銀行に行った日。それは自分にとって特別だし、自分のことを好きになれる日。

銀行に行くってこと
誰かに賞を与えられることでも
俺にしかできないオリジナルのことでもないのかもしれない
でもそんなありふれた出来事に
正面からぶつかって行った
自分をまた少し好きになれた

この感覚がわからない人って絶対いると思うけど。
もう生きてるってだけで精一杯で、他人のこととか顧みることできなくて、自分のことで精一杯どころか自分のことさえろくにできてない人間には救いのような曲だけど。
「銀行に行く」っていう言葉に、それぞれが他の言葉を代入できるから。


続く。

旅猫リポート

旅猫リポートネタバレ含む!

友達が試写会に当たったというので、ご一緒してきた。
まだ公開されてないので後半はもはや自分のためだけに書いてます。

映画を見る時には映画でしか感じられないことを感じようとしていることに気づいた。音楽、映像美、文字の演出、エンドロール。ストーリーはドラマにしてもいいくらいのものでも、それらはやっぱり映画でしか感じられない。

ぼろ泣いた。悔しい。臭いセリフとかリアリティに欠けるセリフとか猫に喋らせる説得性の欠如とか、言いたいこともたくさんあるが、ボロ泣きしてしまったので負けです。
有川浩というテンプレート天才みたいな作家の書くテンプレートな物語の展開なのに、悔しい。(むろんテンプレートがテンプレートのまま作られるものではないし、有川浩作品は好きなのだ↓)

以下ネタバレ









一度見ただけで3箇所も泣いた。
人の死ぬフィクションをナナメに見ている私が何度も何度も胸を打たれてこらえきれずに泣いた。
エンドロールでも落ち着くことなく高ぶる感情。

①両親が死ぬシーン。
両親の死、という事実だけでぐらぐらと涙腺が緩んでいく。二人の親の遺影が映る。ぼーっと見ているだけの息子、悟。
だよなぁ。親が急に死んだって、実感わかないよなぁ。とここですでに泣きそうな私。
まあでもいつものように、大丈夫。泣きそう止まり。と思っていたら親友の幸介がやってくれましたわ。
悟が母に渡そうとしていたあぶらとり紙を、差し出す。
それを見て泣きだす悟。
「悟!」と駆け寄る親戚のおばさん。

悟、こっちに来てから初めて泣いたの。泣いてくれた……。
ありがとう……ありがとう。

は い、ダム決壊。
ずるい。

ここまだ序盤だという驚き。
序盤でこんなに泣いてるよ……ここがピークだわ……と思ったらなんのなんの。

②悟が病院へ行く時に、猫のナナを置いて行くシーンで猫とやりとりする悟。
大好きだバカヤロー!と一人と一匹が泣き合う。悟!と連呼する猫。
ここまで散々、猫好きの悟を描いていたのがここでものすごく効いてくる。

中盤でも泣いたわ。
悟とおばさんの食卓シーンも好きです。悟が幸せだというここのセリフは説得力がある。
竹内結子ォ……。
ここらへんから、悟死ぬんだなぁっていうのがわかるんだけど、

③悟が死ぬシーン。
散々前のシーンからわかっていたのに泣く。
ナナがね、病院の自動ドアを開こうとしているんです。それを、おばさんが連れて来て、悟のベッドに置いて、ナナが悟の手を舐める。
はい、決壊。
なんでこのシーンこんなに泣けるんだ!自分!いろいろ演出の妙があるんだろうけど!悔しい!わからん!



女優陣がずるい。
木村多江竹内結子がずるいのなんの。
そして感情を高ぶらせるのに大いに一役かってるのが、作中音楽、コトリンゴ
最初から最後までここぞという時に流れるコトリンゴがずるい。

流動するだけだ

金木犀の匂いが、数年前から全然いい匂いに感じられなくなった。
桜が咲いても、気持ちが前ほど動かない。

人は変わる。

冬が嫌いだった。
すぐに日が暮れて寒くて暗い空を見上げて、「もうすぐ冬になるのか、嫌だな」と思っていた。今はそれが嘘のように、気持ちがきりりと引き締まって、静かな気持ちになれて心地いい。
寒い寒いと帰った家に、こたつがあって、鍋が煮えている光景は、何にも代えがたいと思う。


新潮文庫が嫌いだった。今ではむしろ、嫌いな理由だったあの紐のしおりがないと不便で嫌だ。
文庫本の解説は読まなかった。いっそなくていいと思っていた。今では解説を読むのが楽しい。


悲しくて、寂しくて、嬉しい。
あの時から自分の中の時間が止まっていると思っていた。
でも今は、私は変わっている。
ちゃんと動いている。

東京03のオシャレさを考えるPart2~「自己泥酔」を見て~

まぁ今回もタイトルから考える03オシャレ論なんだけれど。
オシャレってそもそもなんなんだろうみたいなとこあるよね。

お‐しゃれ【御洒落】
〘名〙 (形動)(「お」は接頭語)
①みなりや化粧などを、洗練された、気のきいたものにしようと心を配ること。また、その人や、そのさま。おめかし。おしゃらく。「おしゃれをする」 「おしゃれな人」
②物、場所などが洗練されて気がきいているさま。「おしゃれなかばん」 「おしゃれなレストラン」

(精選版「日本国語大辞典」より引用)

②の意味なのかな。物だし。洗練されて気が利いている。
……わかったようでわからない。

せん‐れん【洗練・洗煉・洗錬】
〘名〙
①物を洗い、または練ってよくすること。
②詩歌・文章などを推敲すいこうして、よりよいものにすること。
③修養をつんで、人柄や趣味・教養などをより高尚なものにすること。

(精選版「日本国語大辞典」より引用)

さらにわからなくなった。
これも②の意味かしら。

まあ私が考えているオシャレを言い換えると、「センスがいい」ということになるのかなぁ(辞書全無視)。
ただまあこの前引用したこれ、


これはまたセンスがいいとも違うよなぁ。自由な感じなのかな。気が利いてるのかな。
裸足になれるっていうのは何にも縛られていない感じがするから、変なものをつけてないって感じがする。それが洗練に繋がってるのはある。
自由とオシャレは似ているのかもしれない。
裸足になるっていうのは、なんかちょっと酔ってる感じがするんだけど、それをもしも本当にナチュラルに、なんの嫌味もない感じでやれたらオシャレというのがこのツイートの主旨だろうと思う。なんの嫌味もなく、さらっとやってのけてしまう感じがオシャレで、そんなふうに生きたいという。

あ、でもセンスはいいかもしれない。
普通雨で靴の中が不快になっても、脱ぐという選択肢は思い浮かばないわけで、それが思いついてしかも実行するというのは常人ではできないこと。普通と少し違うことがオシャレでセンスなのかもしれない。

はい。
オシャレ論はこの辺でやめよう。だいたいわかったかと思う。
今度見たのが、「自己泥酔」。これもまた、言葉遊び。今「不自然体」というのをやっているわけだけども。来年どんなのが来るのか楽しみになっちゃうよね。
元々の言葉は自己陶酔。飯塚さんが言うには、自己陶酔の人に迷惑かけるバージョンだと。すなわち角田さんだと(笑)。

一文字変えて、元々の意味を踏まえつつさらにパワーアップさせるって、思いつきそうで思いつかない。やっぱりセンスの話になってしまうな。
言語センスが良いんだな。で、それがしかもネタと合っている。
今回の単独のネタを一言で言うのなら、「自己泥酔」かなぁって言われて納得できる。実際はタイトルが先に出来上がるらしいからそこは逆ではあるのだけど。

話が少し飛躍するけど、笑われるってことは最強なんだよ。自分が惨めになったこととかを笑われるって割と救われる。
小学生の時、中庭でずっこけて膝から血が出て、それを一緒にいた友達がすごい笑ったことがあった。私はこんなとこで転んでしかも血が出て泣きそうなほどに痛いのに、「よくそんなに笑えるな」と思いつつ、自分もなんだかおかしくなって笑っていた。
これはこれで良いんだろうなと今は思う。その時はマジで「笑ってんじゃねぇよ」と思ってたけど、逆に笑い飛ばしてくれた方が、その場が持つし、ひとしきり笑って終了できるんだよね。


で、彼らのネタって結構そんな感じなんじゃないのかなって。自分たちの身の回りで起きたことからできている。「ステーキハウスにて」と「トヨモトのアレ」を出して説明する。

「ステーキハウスにて」
飯塚さんの体験談。飲み屋で人の悪口とはいかないまでも、実名バンバン出してこれがこうだとかああだとかって散々言い合って帰ろうとした時に「飯塚さんですよね?応援してます」と言われて「先に言ってよぉ〜」ということをネタにしたと。
もうコントになったらある意味虚構、フィクションになるわけだけど、元になってる種はその飯塚さんの体験談な訳。
だけど、ネタの中では、その役は角田さんになっている。そして飯塚さんは突っ込む側。まぁ彼らのネタにツッコミとボケという明確なあれはないんだけど。
自分のことをネタにして笑われる設定になっているのにもかかわらず、実際笑われるのは角田さんで、飯塚さんは笑わせる側。全体として3人で笑わせるコント。

「トヨモトのアレ」
完全に豊本さんが笑われているネタ。これは豊本さんが豊本さん役で豊本さんが浮気しているというネタ。まあそうしないと面白くならないもんね。
だけど、コントの構成としてはそれを羨ましがる角田さんが笑われる側。飯塚さんがツッコミ。


何が言いたいかと言うと、結局、自己陶酔、もとい自己泥酔する奴らのことを、「しらねぇよ!」と思いつつも、「実は自分もやっているよね?」「実は誰でもしらねぇよと思われる側になってるよね?」ということ。

一発目のネタ「自慢話の話」がわかりやすい。
自慢話をする人たちのことが嫌いだと言い、「俺がもしも自慢話してたら教えてね!」と言う上司に対して、「自慢話をしない俺の自慢をしていますよね?」という部下。それはおかしいと突っ込むその同期。はてさておかしいのか。という。「そういう複雑なやつはいいから」という同期。結局どんな人間も自己泥酔してるんですよ。という含ませがある。

笑いのネタにしているけど、「結局俺らもそうだしみんなもそうでしょ!?」という開き直り?
それって、もう自分たちの自己陶酔とか自意識とか僻みとか妬みとかそういうものをいっそ笑っちゃおう喜劇にしちゃおうっていうことでしょう。
私はそう取るんだよね、彼らのネタとか曲を見ていると。
それって、雨で不愉快になった靴を捨てて裸足で歩くことと繋がらない?繋がったわ~。
あ、わからない?
要はいつも彼らがネタにする自己陶酔、自意識、手のひら返し、妬み、嫉み、言えないこと、本音と建前、とかは、雨で濡れた不愉快な靴だよ。普通は脱がないし、普通はそのまま歩き続けて、「雨とか最悪だわ~」て言う。
でも、それを脱いで裸足で歩けば、足が濡れることは当たり前。足の裏がコンクリの凸凹に当たって痛いかもしれないけど、それを感じずに歩いて行けたらなんだか楽しくなってくる。
本来言ってはいけないことを言ってしまう、自己陶酔を通り越した自己泥酔で人に迷惑をかける。それは無論日常でやったらとんでもないことだけど、虚構の中ではできるんだよ。

それをね、なんかさらっとやってるんだよね彼らは。こういうことをネタにするのオシャレだろ?感がない。だって自分たちも実際の生活でやってるから。それをなんの嫌味もなく、「これネタにしたら笑えるんじゃないかな」という舞台を作り上げる。大げさな道具やシチュエーションは使わないで、自分たちの演技力と演出で魅せる。

以上です。
稚拙で駄文で恥ずかしい。
ライブビューイング楽しみだなあ。