アイスクリームと獅子

美しいものが好きです

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*これは記事ではありません







はじめに



徒想
徒然草と随想から取った私の造語です。日々の考えていることについて節操もなく書き連ねています。



読んだ本の感想とか、読後の感覚とかを書いています。ネタバレはないと思います。


ドラマ
見たドラマの感想です。だいたい雑感で、メモみたいな感じで思ったことを書いています。ネタバレしてます。


音楽
その時好きな音楽について書いています。だいたい一曲について好きなところとかなんで好きなのかとか書いています。


映画
映画館で観た映画の感想を書いています。ネタバレしかしてません。たまにテレビとかで観たもので面白いものも書いています。


お笑い
お笑いの番組とかライブの感想です。


日記
日記です。その日あったことと感じたことを書いています。

昨日が一昨日になっていくこととか。

生きるのが嫌でたまらなくなる。

歯磨きが面倒だ。髪を乾かすのが面倒だ。
そういう人はいっぱいいると思う。
じゃあなんで、生きるのが面倒だと言った途端に重くなるの?



私が文を書く理由、憂鬱と怒りでどうしようもなくなった時、気を楽にするためだった。はじめは。

何も考えず、殴りつけるように書いて、書いて、書いて、書きまくる。

でも10年も経てば、文を書くこと自体が習慣になって、理由もだんだん変わってくる。



私は、私の気持ちを未来の私に残したくて文を書く。
未来の私が、今の自分がなぜ楽しいのか、何を思っていたのかを知れるように。
でも、過去の文を読んでいて、ちゃんと伝わったことなんて、ほとんどない。



最近は、文にしても気が楽にならない。
未来の自分に伝わらなければ意味がないから。
今の自分が納得できなきゃ意味がないから。
伝わらないし、納得できない。言葉にすればするほど、思ってることとズレていく。

表現なんて、自分が納得できるかどうかだと思う。
たまに人が私の文を好きだと言うけど、全然信じられない。

わかんないよ。
どうして世に出ているすべての表現者は、あんなに素直に言葉を使えるのだろう。


ああ、どうせこんなに苦しいのなら、生活苦でも売れないロックバンドのような人生の方が良かった。
自分の感じたことを昇華する術のない人間には、感受性なんて重荷なだけだ。


辛くて苦しくてたまらない。
どうして人間って、仕事するか死ぬかしかないんだろう。
他の動物みたいに、ただ生きて、生きるために飯を食って、子孫を残すだけの生物だったら良かったのに。


でも死ぬことなんてできないから、生きてくしかないのだ。
どうせ私は表現者にはなれないんだろうし、なんとか仕事して生きてくんだろう。

ああ、同じことを書いても、ポジティブに受け取るか、諦めと受け取るかってきっと読み手によって違うんだろうな。



誰も私を救ってくれないよ。
そりゃそうだよな。
自分のことわかるとしたら自分しかいないし、自分のこと救えるとしたら結局自分しかいないよ。



ああでも、こんなこと考えてるのは馬鹿馬鹿しいな。
どうせ明日起きたらもう気分は変わっているだろうのに。
10年前の失敗は今でも覚えてて、たまに恥ずかしくって叫びだしそうになるっていうのに。



ねぇわかる?10年後の私。
今の気持ち。
わかるわけないかぁ。

チョコミミを読んでくれ。

チョコミミを読んでもらいたい。
りぼんで絶賛連載中の漫画である。


実写化されるような人気少女漫画で全然キュンキュンできない私が、ありえんくらいときめいてしまう。
キュンキュンを通り越してもはや心臓がギュンギュンいうくらい。



こんな青春送りたかった!とワクワクしたり、
こんな青春送ってたわ……と懐かしくなったり、
この気持ちわかるわ……と切なくなったり。

片想いの切なさ
両想いのときめき
両片想いのもどかしさ
追いかけるだけの恋
叶わないとわかっていながら諦めきれない想い
恋ではないけど大切な人
ずっと一緒にいたいと思える仲間
何よりも大切な親友
くだらないことで笑い合えること
言葉で説明しきれない複雑な気持ちや関係性
兄弟、先生、先輩、後輩
夏祭り、海、山、誕生日パーティー、クリスマス、ハロウィン、初詣、お泊まり会

とにかく、青春の全てが入っている。
綺麗な気持ちばかりじゃなくて、
親友の彼氏に嫉妬してしまう気持ちとか、好きな人の恋の応援をしてしまう複雑な心とか、そういうのも全部。


この漫画は基本4コマ。
個性あふれるキャラクターはもちろん、爆笑必至の笑い、秀逸な比喩と伏線がこの漫画の魅力。

ストーリーは所々挿入される2〜6ページのショート漫画で進む。重要なシーンしか描かないから端的でわかりやすいのに、とても密度が濃い内容。


人間関係って変わってゆくでしょ。
その変化が繊細に描かれる。何年もかけて関係性がゆっくりゆっくり変わってゆく。
まぁ、、キャラクターたちはずっと同じ年なんだけど。

その変化の仕方がすごく素敵。
片想いの相手に素直になれない男の子がだんだん素直になったり、
キャラはそのままなのに、話していることがどんどん恋する女の子になったり、
片想いが両思いになって行く過程だったり。
その変化がキャラクターの魅力をさらに高めてくれる。

登場した当初は好きじゃなかったのに、何巻後かにはもう大好きになっている。



もう、青春真っ盛りの人も、もう青春は遠い過去の人も、男も女も、大人も子供もその間の人も、みんな読んでもらいたい漫画。

教えてほしい

小学生の時、なぜ目が見えるのか不思議で仕方なくなったことがあった。


そんな時、詩の授業で「なぜ〇〇なのだろう」っていう疑問がある人は今言ってみよう、ってなったので、その疑問をぶつけてみた。



ほかの人は、もっと抽象的で答えられない質問をしていた。
なぜ心があるのだろうとか、そういうこと。


先生は、私の質問には答えられると言って、目が見える仕組みを教えてくれた。
虹彩、水晶体、網膜。ここから光が入って、ここに映って、それが反転して見える。



でも私、それは知ってた。
どこかで読んだか何かして、知ってた。




私が不思議だと思っていたことは、心はどこにあるのだろう?という、みんなが言っていた質問と同じような種類のものだった。




今私が見えている世界が、誰かから見えている世界と一緒だという保証はないんじゃないだろうか。
じゃあ今私が見ている世界ってなんなんだろう、この目というものは何を映しているんだろう、本当に虹彩や水晶体や網膜だけが、目の機能なのだろうか。
私が不思議だったのは、そういうことだったのだ。



だけど、それを説明することはできなかった。
そういうことじゃなくて。
そういうことじゃなくてさ。
私は詩の授業中に、科学の質問なんかしないのに。
と思うだけだった。



こういう疑問が、その時の私の気持ちの大半を占めていたと思う。
もしも私がこの世にいなかったら、今の私の気持ちはどうなるのだろうとか。
例えば私が鳥になりたいと思って鳥になったら、鳥になりたいという気持ちはどこに行くのだろうとか。
仮に鳥になりたいという気持ちはなくなるのなら、ほかの人間が同じように鳥になりたいと思った時、なぜそれが私じゃないと言えるのだろうとか。



あの頃の私はそれをうまく説明することができなかった。
いまだに思う。
今でもうまく説明できているとは思えない。
これを読んで理解してくれる人はいるのだろうか。


もしこれを読んでくれた人で、何か感じるものがあったら、教えてほしい。



わかってほしいわけじゃないし、わかってもらえたからといって何かが変わるわけではないと思うけれど、もしも同じように感じている人がいて、それをうまく説明してくれたら、そしたら少しは変わるのかもしれないかなって思うから。

星野源ANN 弾き語りライブinいつものラジオブース

必聴でした。



いや、なんだろう、聴いていたら、センターオブジアース、違う、センスオブワンダーだった。


星野源って本当に、楽しそうに音楽やるじゃん。好きで仕方がないみたいに歌って踊るじゃん。
そしたらこっちだってなんかもう素敵な気分になるに決まってるじゃないか。

セトリ

くせのうた
ビタースイートサンバ

ひらめき
老夫婦
日常

長岡亮介さん登場
化物
プリン
SUN

※encore
Friend Ship

リクエストメール2通とも、「なぜか泣いた」との声。
いや、ほんとに、なぜか泣きそうになるねこれ。
弾き語りだと、しっとりするっていうか、響き方が全然違うなって思った。
めっちゃ鳥肌立ってた。
この曲ってこんなにいい曲だったんだね……。



ミュージシャンのチューニングって色気すごくない?

化物

長岡亮介さんが登場して、音に立体感が増す。
うわあ、音楽ってこういうことだよなって。
さっきまではギター一本とマイク一本だったのが、ギターの音が増えて、コーラスが入る。それだけで、音楽ってこんなに変わるのかってそういう。

化物はめっちゃ好きな曲。
この曲だけで私が好きな曲調の説明ができる。


SUN

むせる星野源
押してるのに最初からやり直す星野源

「わんっとぅーすりーふぉーB 」
でなんかもううっわああ音楽!ってなってしまった(伝われ)。

音楽、少しだけどやってたから、その時の記憶が呼び起こされてまたやりたくなったというかしんどくなったというか楽しくなったというかぐっちゃな気持ちが押し寄せるけど、曲が始まってもうなんでもよくなるし、結論音楽ってよいね…。


「みんなも一緒に〜!」
って言うの、ラジオで聴いている人たちが一斉にらーらーってやってるの想像したら素敵すぎない?


星野源、やっぱ良きでした。

no title

未だに


生きづらくてどうしようもないし
友達はできないし
ましてや恋人はできないし
いつまでもひとりだと思うし
死にたさは真理だし



だけどさ


生きづらさから自分を救うのは自分しかいないし
自分の周りに人が集まらないのは自分が努力していないからだし
いつまでもひとりでいることは自分が半分以上望んでいることだし
じゃあ本当に死にたいかって言われたらもう違うし



そうやって思えるようになったのは進歩なのかな
それともなんとなく逃げているだけなのかな
それがわかっているのに何にもしないなら何も変わっていないんじゃないのかな


結局うだうだ考えるだけ考えた末に何もしない言い訳を見つけているだけじゃん

檸檬

本を読めなかった時期がある。


自分が何を好きなのかわからなくなっていた。
本を読むことは何よりも大切だったはずなのに、読んでも読んでも、楽しくなるどころか不愉快になっていった。



高校三年の国語の授業で読んだ「檸檬」は、私が再び本を読めるようになる大きな立役者だと思う。





書き出しから衝撃的だった。

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。

「えたいの知れない不吉な塊」は「えたいの知れない不吉な塊」である。それ以上でもそれ以下でもない。
言い表せないから気持ちが悪く、不吉なのだ。それが、ずっと自分の心をおさえつけている。

憂鬱な気持ちは、理由がわからないからこそ憂鬱なのであって、なぜ気分が沈んでいるのかわかれば、それはもはや憂鬱ではない。ただの悩みだ。

どうしてこんなに苦しいのかわからないが、ただただ苦しいということだけはわかる状況。


なにをしててもそうだった。
本を読んでも、音楽を聴いても、誰かと話していても、ご飯を食べていても。

なぜこんなに苦しいのか?ということを考えていた。他の人はこういうとき、どうやって乗り越えているのだろうか?と。
考えても答えは出ないことは知っていたけど。


ギターを弾く時間は、考えることをやめられるので、ずっと弾いていた。
なにが楽しいとかそういうことではない。考えないために弾いていた。
ギターが弾けないときはツムツム。


そんな中読んだこの書き出しは、まさに私のようだった。



読み進めていくとすぐに、またも自分かと思う一節が見つかった。

以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。(中略)それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

あんなに好きだった本を読めない自分に重ねた。

こんな小説があるのか!

と、本を読めなかったその時期に、のめり込むようにして「檸檬」を読んだ。
授業の内容なんか半分も聞かずに、読書を楽しんでいた。


驚きはさらに読み進めることで増してゆく。
今まで自分の心を描写していた語り手は、変わって「みすぼらしくて美しいもの」を目の前に思い描くように語る。


廃頽しゆく街、花火、びいどろ、南京玉。


言葉だけ羅列するだけでも美しい物たち。


びいどろを飴玉のようになめ、「あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか」と言う。
異常とも取れる行動を、こんなにも静かに綺麗に描けるのか、という衝撃。


私が一番心を惹かれたのは、果物屋の描写だった。

何か華やかな美しい音楽の快速調アッレグロの流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。

こんな比喩があっていいのか!
二度読んだ。
今読み返しても美しい文だ。

「何か」「的な」「あんな」「というふうに」という曖昧な単語が頻発するにもかかわらず、読者の脳裏にはこれが表す風景が鮮明に現れる。

……違う。
これは情景の比喩ではない。
果物が並んでいる様子は、「果物が並んでいる」といえば事足りる。

普通、それをもっと明確に読者に知らしめたいのなら、「果物が〇〇のように並んでいる」という表現をしがちだ。
つまり、目の前の情景をどう表現するか。

だけどこれは違う。「果物が並んでいる」という情景が、語り手にはどのように見えたのか、ということを伝えようとする比喩だ。
つまり、情景と比喩が同時にある。

こんな比喩があるのかと驚いた理由はここにあると思う。


それから語り手は檸檬の描写に移る。
檸檬は主人公の心を幸福にした。
ここの描写にも惹かれた。

 その重さこそ常つねづね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。

檸檬の重さがしっくり来たのは、その重さが今までの全ての善いもの美しいものを換算した重さだからだ、と考える。
重さに換算させるという突飛な発想が、なぜか主人公が本当に思ったかのようなリアリティを生む。
不思議な文だと思った。

その幸福感のまま、調子に乗って主人公は丸善に入る。昔好きだったが、今の自分には耐え難い場所、丸善
しかし檸檬の効果も丸善にまでは効かなかった。みるみる憂鬱な気持ちに戻っていく主人公。

大好きだった画集を見てみるが楽しめず、何冊も何冊も引っ張り出しては積み上げる。
ごちゃごちゃしたその画集の積み上がった光景は、まるで憂鬱の象徴に思えたのではないだろうか。
ハッと気づいて主人公は、その頂点に檸檬を乗せる。
その描写の美しさよ。

 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。

その後、主人公はそれをそのままにして、檸檬が爆発して丸善を木っ端微塵にする様子を想像しながら、街の坂道を下っていき、話は終わる。




登場人物が主人公ただ一人だということから驚きだった。
貫かれる無人感。
丸善果物屋が出てくるのに、そこに人が居る気配がしない。

そして、主人公である語り手は、不吉な塊が原因で起こる、自分の異常とも言える状況を淡々と述べていく。
自分の好きなものや、自分が思っていること以外のものやことは描写しない。
ひたすら自分のことだけを語る。

静かなる狂気。
精神を病んでいる主人公は、奇怪な行動、突飛な妄想を繰り返す。
しかしそのどれもが、淡々と、静かに、どこか美しく語られる。



こんな小説があるのか。
なら、また本を読んでみようか。
いっそ、また小説を書いてみようか。




余談だが、ここまで私を衝撃させた本を、クラスメートは理解できないと言っていた。
ええっ、なんで?!とさらなる衝撃に私は絶望しかけた。
檸檬がなぜこうまで私を貫いたのかについては、ずっと説明したかったのだが、全然文をかけない時期だったのでこんなに遅くなってしまったけど、とりあえず書けてよかったと思う。