アイスクリームと獅子

ただの記録です

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ぼおるぺん古事記

こうの史代さんの漫画、「ぼおるぺん古事記」について書きたい。



授業中に、先生がおススメとおっしゃっていて、とりあえず最初、一巻だけ買って読んだ。

先生がおすすめしていたから、という理由で、古事記のことをあんまり知らなかったし、勉強のようなつもりで読んだのに、これが思った以上に面白すぎて、全3巻買って読んでしまった。



ちなみにこうの史代さんは、ご存知「この世界の片隅に」の作者の方。



この漫画の何がいいかって、古事記の原文をそのまま使っているということ。
古事記はとても古い時代、まだ漢字しかなかった頃の書物なので、本文は漢字しかないけど、それを訓(よ)み下した文を使って、漫画が描かれている。



つまり、漫画を読んでいるだけで、古典が原文のまま理解できてしまうという!
古典というのは現代語とはまた違った美しさやリズムの良さ、響きの良さがある。それをそのまま味わうことができるというのは、とてつもなく贅沢なことだと思う。


「え?原文のままなの?難しそう」と思うことなかれ。
作者のこうの史代さんはあとがきでこう述べている。

漫画にはサイレントという絵のみで展開させる手法があるのです。文字を使わず意味を伝えられるのだから、古文がついたからって読めなくなる筈がないのです。


私はこのあとがきを読むまで、古典に馴染みの全くない人間にはこの漫画は難しいかもしれない、と思っていた。
なんて失礼なこと!
そうだ、絵があるんだから、古典なんか読めなくたって十分楽しむことができる。




何より私のような古典が好きな人間にはもちろん、古典なんか読んだこともない人にも、ぜひ読んでいただきたい。

古事記は日本最古の歴史書で、我々の祖先がどのようなことを思い、伝えんとしたかを知ることができる素晴らしいものだ、と私は思う。古事記に限らず全ての古典作品はそうだと思うけど。




なにより、古事記の内容が面白いのだ。

例えばイザナギという神様がいるのだけど、その神様が黄泉の国(死んだ者がいくところ)の使者に追われるシーン(その理由はぜひ読んで)。


イザナギは追ってくる相手らを撒くために、自分の髪につけている櫛を投げる。するとタケノコが生えて、相手らがそれを食べている間に逃げる。

とか。いや、さっきまですごい形相で追ってたのに、なに和やかにタケノコ食べてんねん(笑)みたいな。

これが日本最古?と疑う。
とてつもなく新鮮な表現に思えてくる。



その新鮮さがこうのさんのボールペンによる絵で、力強い動きとともに目の前に広がって、とてもワクワクする。次はどうなるの?次は?次は?って。



あと特筆しておきたいのが、歌のシーン。古事記の時代から和歌があることにもとてつもなくロマンを感じるけど、こうのさんは歌のシーンだけ、色をつけて描かれている。

歌。歌の世界にだけ色をつける。うまく言葉にできないけど、歌っていうのは古典の世界ではすごく大事なんです。そこに色をつけることで鮮やかさ、新鮮さ、美しさがさらに増す。

なんかありきたりな言い方になってしまったけど、うーん。いい表現を見つけたら書き直そう。



この三巻は、古事記の三分の一の内容なのだけど、こうのさんはあとがきで、続きも書くと宣言していらっしゃって、もうすでにワクワクしてしまった。
どれだけ時間がかかってもいいので読みたい。読みたいです。

些細

生活の些細なミス。


例えば一枚のパンをトースターに入れて、お湯を沸かしてスープの粉末をスープカップに入れる。

その間にお皿とバターを用意して、お湯が沸く。



お湯をカップに注ぐ、スプーンを出すのを忘れていたのでポットをもとにおいてから混ぜる。

チン、という音がしてトースターの中を見るとパンが焦げている。お皿に乗せて、バターを塗る。たくさん取りすぎて、あちこちに白い半固体が残る。


どうでもいいけど、チンするといったらレンジなのはどう考えてもおかしい、レンジは音楽が鳴るし、チンというのはトースターだろ。

スープを飲むと、すぐに混ぜなかったせいでここにも半固体があちこちに残る。しょっぱいと薄いの交互に極端な味わい。


なんか悲しくなってきて、ぶつぶつ文句を言っていると、隣でテレビを見ていた母に、うるさいと怒られる。


私はそのことにまたショックを受けて、母に対して憎まれ口を叩く。


どう考えても、パンが焦げたのもスープが溶けきらなかったのも自分のせいだし、うるさいと言われるのはもっともなんだけど、すこしは慰めてくれたっていいじゃ無いか!
と素直に言えばまだ収拾がつくものの、そんな言葉を口に出す余裕さえなく、事態はさらに悪化する……。



なんでこうなった、私はただパンを美味しく食べたかっただけだ。



というようなことが多い。
生活の些細なミスを1つすると、ドミノ倒しみたいに収拾がつかなくなる。
ストッパーをどこかに置いておくような人生を送りたいです。

ズレ

なんか、いろいろズレてるんだよね。


中学生の時にやりたかったことは、高校生でできるようになったけど、やっぱり中学生の時にやりたかったし、高校生の時にやりたかったことは、今できるようになったけど、やっぱり高校生の時にやっておくべきだった。



誰かの家や公園に夜遅くまでいることとか、放課後に定期圏外の隣の駅まで行って31アイスクリームをみんなで食べたりとか、今は簡単にできるけど、今じゃなくてその時にやっておくべきだった。
制服を着ていたあの時に。



でも私には門限があったし、校則を守らないと、という正義感(?)があったし、お金はなかった。


金欠も門限も校則も、今の私にはないけれど、その時にしか味わえなかっただろう何かを、私はもう一生持つことはできないんだろうなって思う。

anone 第1話 雑感

努力は裏切るけど、諦めは裏切りませんしね

余命半年を宣告されたカレー屋の男が、最後に作ったのは、メニューにない焼うどん。

名言なんていい加減、本当に。


死に場所を探していた最後の客と、ドライブへ行く。



画面は変わって、死体処理のアルバイトをする主人公、登場。
友達とは違うけれど、2人の女の子と、暮らす。その日暮らしをなんとか、多分、3人で楽しんでいる。


スマホの向こうの話し相手、大病を患う男の子がいる。


おばあちゃんとの魔法のような、生活。



目まぐるしくない、緩やかに画面が変わって行くのに、間延びしない、密度が濃い、いつの間にか、画面に釘付けになる。映画のように、このドラマの中に沈んで、いつの間にか身動きが取れない。

流れ星が見える。




お金。テトラポットで見つけた、保冷バッグの中にたくさんの一万円札。

友達だと思ったのがバカだった、なんて、ありきたりなセリフが、心に迫る。お金は人を変える。



ここまで出てきた主要人物が、柘に集合、保冷バッグ争奪戦。
非現実的な演出が、そのままおばあちゃんと過ごした魔法の森へ、非現実な世界に場面を変える。



でも、おばあちゃんとの魔法のような生活は、記憶違いだと風見鶏が話す。本当に話しているのは主人公の心、だと思うけど、こういう技法、なんていうのかな。



残酷な過去を思い出した主人公。
スマホの向こうの男の子がいる病院を見つける。

彼も更生施設にいた1人だった。

君はあのね、って言って、
雨に濡れた花がどれほど美しいか、
お話ししてくれた。
そして手をつないで、流れ星を見た

と、一度いっしょに脱走したときのことを話す。



会いたい。
友達はいなくなり、今でも居場所だと思っていた記憶は消えて、今はもう、君に会いたい。
それはできない。と断られる。


あのね
またね

ログアウトと同時に病室のカーテンが閉められる。




静かに人間を蝕んで行く過去。未来のない人々。主人公だけは、未来があるんだろうか。
それとあの未亡人。
それと最後に出てきた瑛太
続きがきになるというよりは、必然的に私は続きを見るんだろうなという感覚。


現実に戻るまで時間がかかる、このドラマは面白い。

髪の毛

もう随分、髪の毛を切っていない。


私は5歳から常にショートカットだった。


高校生の時は、そのへんの男の子より短い髪をして、それが自分の存在を決定づけるものだと思っていた。


横の髪が顎のラインまで伸びたら、「あー、髪切りたい」と言っては、周りの友達に「えっどこを切るの?」と言われた。



それが今は、後ろ髪が首を隠すくらいには伸びた。



伸ばしたい、わけではない。
ただ、伸びた髪を見て、ショートカットの私しか知らない人が驚けばいいとは思う。

ある一面しか知らないということを、髪の長さなんていうちっぽけなことでしか知り得ない人たちに向けたアンチテーゼ、なんてかっこいい(ダサい)ものではないけど。



でも、そんなものは理由なんかじゃない。
単純に、なぜか、髪を切りたいと思わないのだ。



解放されたいと思う。
自分に付けられた、見えない手錠や足枷、縄をちぎってゴミ箱へポイ。


解放されたいが為に髪を切りたいと思い、解放されたいがために髪を切ろうと思わない。



多分それだけの話だ。

2017年を振り返る

個人的今年の漢字は、っていつも考えるのだけど、私のこの一年は「再」かな。
2017年は再生の年だったように思うから。


高校生活は、無理やりに生きている感覚で、自分の気持ちもいつもよくわからなくて、周りに影響されまくっていたんだけど、そこから解放されたというか。
そこから解放されて、本もまた読めるようになったし、自分の気持ちも掴めるようになってきた。
自分が好きなものもなんなのかわかってきたし。


まだ完全にってわけじゃないけど、生きづらさとか、苦しさみたいなものとか、自分の意に沿わない価値観とか、そういうものを壊していけるような気はしている。





一応、毎年今年の目標を立てていて、今年の目標なんだったかなってこの前見てみたら、「行動力」だった。
高校生までの私はまるで行動力がなくて、それは経済的なものもあったんだろうけど、ほんとに全くなかった。

けど自分でバイトを始めてお金を稼げるようにして、したいことや食べたいものや欲しいものを買って、っていうことは、できるようになったなって。

どこかに電話するのもめちゃくちゃ渋ってたし、観たい映画があっても映画館に行くことさえ面倒だった私が、余裕で電話かけてお店の予約できるようになったし、1人で映画館行って、映画ノート作っちゃったりして。


めちゃくちゃちっっさいことだと思われると思うけど(笑)

だからまぁ、一応目標は達成。






それからそれから、今年はようやく初めて、ライブというものに行った。


小山田壮平の弾き語りと、ウーマンラッシュアワーの村本。
まさかお笑いライブにも行くことになるとは思わなかったけど。

ということで自分の世界が1つ、広がった。



それから今年は、なんだかんだ新しいことを始めっぱなしの一年だったかな。
短歌を始めて研究会で勉強してバイトを辞めて他のバイトを始めて、ノートテイカー始めて、バイトの掛け持ちをして他の研究会入って、1人映画行ったり1人ライブ行ったり。うん。

今までの自分よりはなんか、流れに任せてじゃあやってみます、って感じだった印象。
しがらみがなくなったからかな。