アイスクリームと獅子

ノーライフ、ノーエブリシン!

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*これは記事ではありません







はじめに



徒想
徒然草と随想から取った私の造語です。日々の考えていることについて節操もなく書き連ねています。
要は所謂雑記。


読んだ本の感想とか、読後の感覚とかを書いています。ネタバレはないと思います。


ドラマ
見たドラマの感想です。だいたい雑感で、メモみたいな感じで思ったことを書いています。ネタバレしてます。


音楽
その時好きな音楽について書いています。だいたい一曲について好きなところとかなんで好きなのかとか書いています。


映画
映画館で観た映画の感想を書いています。ネタバレしかしてません。たまにテレビとかで観たもので面白いものも書いています。


お笑い
お笑いの番組とかライブの感想です。


日記
日記です。その日あったことと感じたことを書いています。

書くこと。

書くこと。
いつまでたっても上手い文を書くことができなくて、ああでもないこうでもないとやりながら出来上がった文も、伝えたいことはこうじゃなかった、と思いながら読み返すことが多い。
でも、上手い文を書けるようにならないからと言って書くのをやめたら、いつまでたっても上手くならないという、それは真実だと思う。
それをわかっていながら、書いたって上手くなるとは限らないじゃないか、と予防線を張り自分が傷つかないようにするのは、ただの思考停止だ。
書け。上手くなりたいなら書け。書きまくれ。

というわけで、もっと書こうと思いました。

実際、数年前の日記とかを読み返すと、今の方が上手だと思えるのは、そういうことなのだろう。
書いて書いて書いて、それで数年後に今よりは上手くなって、それでも自分より上手い人は山ほどいて、それでも書いて書いて書いて、またその時よりも数年後上手くなって。

継続は力なり。
とはよく言ったものだ。

ことわざとか、よく言われる言葉は、やっぱりそれなりに正しい。

とにかくやるのだ。
好きなことなら続けたらいい。
人と比べて苦しくなってやめたいと考えてしまうくらいなら人と比べるな。
常に過去の自分と比べるようにしろ。

と、自分の肝に銘じるような気持ちで書いていたが、数日後には忘れてまた悩んでいるかもしれない。


まあでもとりあえず、1000字〜2000字の間で、週に一度は必ず何かテーマを決めて書く、という訓練したらいいんじゃないか。

最高

最高、って割と簡単にいいがち。
私が最高を使うときは「かなり高」くらいの感覚なので滅多に使わないんだけど、別に特に意識せずに使う人が多いんじゃなかろうか。
やばい、みたいな感じで。

こんなことを言ってるからと言って、若者の言葉はけしからん的なことを言う気は毛頭ない。
言葉なんて時間と世代によって変わるし、変わらないと気持ち悪いし、変わるから面白いのだと、言語学を少しかじっている私としてはそう言いたい。

でもやっぱり、あんまり使われない言葉を聞くと嬉しくなるのも確か。
たとえば、「綺麗」って言葉あんまり聞かないね。
言う人がいたもんなら、そんな言葉を衒いなく言えるあなたが綺麗だよ、と思いますね。

なんの話?

最高の話。

こんなことを長々と書いたのは、私が最高だと言う言葉をそんなに軽い意味では使っていません、と言うのをまず伝えたかったからです。
今から私が最高だと思うものの話をしたいので。


あ、トリプルファイヤーってバンドのことなんですけどね。

最高だな、ってのは高校の時andymoriに対して思っていたんだけど、その頃すでにandymoriは解散していて、やるせなさがすごかった。
彼らの曲もやるせない雰囲気が漂っていて、「こういう人生だよなぁ、結局」なんて厭世家ぶっている高校時代の私よ、安心したまえ。

私はちゃんと今、ライブに行きたいと思えるバンドに出会っているぞ。解散していないぞ。バリバリ活動しているぞ。

「え?トリプルファイヤー?あの気持ち悪くて歌詞意味わかんないMVこの前見たけどあのトリプルファイヤーですか?」

そう。そのトリプルファイヤーです。


よく、「ライブはやっぱり違う、ライブで聴いてこそ真のバンドの良さがわかる」的なことをライブに行く人たちから聞きます。
私はこれまでそれがあまりわからなかった(これは私の感性が単に乏しいせい)。

だけどトリプルファイヤーです。
トリプルファイヤーはまじで違う。

ライブ映像を見てからCDを聞いた民(そんな民いるのか)なのだけど、CDを聞いてびっくり、「足りない!圧倒的に足りない!」と思った。
「そして歌詞が違う!」歌詞はどうやら毎回どこかしら変化するようで。

私の乏しい感性でも、多分音楽聴いたことない人間でも、「ライブと音源全然違う」というのがわかる。
この楽しさ。
今まで全然わからなかった数学の問題がやっとわかった!みたいなやつ(ちょっと違うけど)。


それから、ライブってこう、盛り上がらないとダメみたいな、こういう同調圧力ってどこにでもあるんだな。あるよね。
(ユニゾンなんかはそれに対する批判的な曲歌ったりしているし)
無論、みんなで手を挙げて体を揺らして声を出すと、その一体感で楽しくなるのはわかる。めっちゃわかる。やってみると楽しいのも知ってる。
でもそういうのあんまりできない側の人間もいるんだよな。

そこでトリプルファイヤーである。
カモン、という曲がある。

フロントマンが、「両手挙げろ〜体揺らせ〜声出せー!こんなもんじゃないだろー!!」って言うやつをそのまま歌詞にしてしまった曲。

これをライブでやると、客は誰も手を挙げず、さっきまで上がっていた声も上がらなくなり、最前でさっきまでめちゃくちゃ踊ってた人たちの体の揺れが少なくなるという魔法のような曲である。

フロントマンの吉田は客が無反応を貫くことをわかっていながら必死で盛り上げようとし、客はそれを見て頑なに応えない。
ここに一つの異質な共犯関係と謎の一体感が生まれ、会場はステージと客席と全て一体となるのである。

こんなスカしある?気持ちよすぎる。
もうこの曲の間はニヤニヤニヤニヤしてしまう。


この曲じゃなくてもニヤニヤニヤニヤしてしまうんですけどね。
もう歌詞がナンセンスというか、叫ぶ必要のないどこにでも転がってるけど誰も叫んでいないことを叫ぶんですよ。しかも何回も。

ふっと思うとなんでこの人こんなこと何回も叫んでいるんだろうかと笑ってしまう。
(急に核心ついたりしてくるので真顔になることがあるんだけど。それもまた魅力)

なのに曲は超タイトだし超踊れるし超かっこいいしで頭混乱する直前の感じになる。それが超気持ちよくなってわけわかんなくなって楽しくなってしまうんですよね。


MCもね、ロックバンドのフロントマンってなんかかっこいいこと言い始めるじゃないですか。
これが本当にかっこいいと思える場合もあるんですけど、急にJ-POPの歌詞みたいなこと言い出すと、お得意のナナメの自分が出てきちゃう。

その点吉田くんはいいぞ。中身のないことしか言わないからね。
最高だよ。


なにが言いたいかと言うと、わざわざ金を払って時間をかけて見にいきたいと思えるバンドがいままでいなかった私が、
友人に誘われてライブに行ってみても素直に楽しめなかった私が、
超楽しくて体もガンガンリズムに乗って踊れるバンドなのである。

これを最高と言わずになんと言う。

What’s me?

やりたいことがどんどんわからなくなっていく。
歳を重ねるにつれ、である。



小さな頃はなりたいものがいっぱいあった。やりたいことがいっぱいあった。



私は今、何をしたいのかどうなりたいのかわからない。





日本文学を学びたくて大学に来た。古典文法が好きで語学を専攻している。





海外の文化が知りたくて旅行に行く予定だ。





お笑いが好きでテレビを見たり劇場に行ったりする。






短歌を詠んでいる。
なぜか。知らん。






自分にしかできないことがしたくて
自分にしかできないことがしたくて
自分にしかできないことがしたくて
自分にしかできないことがしたくて




自分にしかできないことがなんなのかわからない。




文学をやりたいのかどうかもわからない。





その都度やりたいことを選びとって来たつもりだ。


高校は、一番やりたい行事が盛んな学校に入学した。


大学は古典が学びたかったからそういう大学を選んだ。



やりたくないことをやらないようにしてきたつもりだ。



やりたいことでできなかったことはたくさんあるけど。





なのに、なんでこんなにも空虚なのだろう。







自分がわからない。

5人

私にとって嵐は、ずっと遠くの方で暖かく輝いている光のようなものだった。眩しすぎて、近寄ることができず、かといって、目を離すこともできない、そういう存在だった。

近くにいる時もかつてはあった。
暖かさとキラキラした愛が溢れていて幸せだったし同時に苦しくて、苦しさを感じるくらい好きになったことなんて初めてだったから、その苦しみさえも愛していた。
でもいつからか、そのあまりの眩しさに疲れてしまって、距離を置くようになってしまった。


嵐以外に自分の好きなものをたくさん見つけた。自分にとってちょうどいい具合に光っていてそれほど大きくないもの。全く光ってないのになぜか大切に思えるもの。すごく小さいけれどずっと手に握っていられるもの。

それでもやっぱり、あの光の暖かさを忘れられなくて、ずっと遠くからその光を見ていた。
ふっと遠くを見ると、そこには必ず嵐がいた。いつでもそこで光っていた。
たまに近くに寄っては離れて、でもいつもありがとうって思っていたんだ。
そこでいつも変わらず光ってくれていてありがとう。

私の中で絶対的な存在。
あの時ほど情熱的に好きになることは、今はないかもしれないけど、絶対に私はこのグループを嫌いにはならないのだと思っていた。
それだけは確実だった。

なんていうのかなぁ。
嵐に対する気持ちが一筋縄ではいかなさすぎて、うまく説明できない。

テレビもラジオも音楽プレーヤーもスマートフォンもない、小さな小さな島に、1人家を建てて、自分の好きなものだけをこの家の中に詰め込んでいる。この家の中にはもってこられなかったけど、窓を覗けばいつも見えていたもの、っていう感じ。

こんな奇異なファンでした。
こんなんでも、私は嵐のファンでした。

その光が今まもなく消えてしまうということを知らされて、やっぱり戸惑っている。
会員動画を見た瞬間、頭が混乱して「どういうこと?」って連呼が止まらなかった。

でもどこかで、ああ、大野さんはやっぱりそう思っていたんだなってやけに納得した。
ついにきてしまったのだな、と。




彼らを見る回数は、彼らを好きになった頃より減っていたけれど、それだけ彼らを好きだという気持ちは穏やかだった。

相葉ちゃん紅白のとき泣いてたね、松潤の99.9めちゃめちゃ好きだったよ、翔さんやっぱかっこいいよ、ニノはいつ見てもニノだね。
5人揃った時のあの空気感、やっぱ、格別だね。

そういう光が、私にとっての絶対的な光が、消えてしまう。一時とはいえ、それはとっても悲しいことなのだ。
ちゃんと悲しみたいと今は思っている。

こんなファンでもあと2年間、嵐の見せてくれる光を見て楽しんでいてもいいですか。
嵐と同じ景色を見ることは今までも、この2年間もできないかもしれないけど、少しでも近くに寄っていてもいいですか。


会見を見て、2020年までは、最後までくすむことなく、むしろより輝いていてくれるのだとわかった。
だからとても安心した。「休止」という言葉の悲しみ以外の悲しみを、嵐は絶対にファンの人たちに与えなかった。

嵐ってすごいなって思った。
こんなすごいグループだったんだなって、知ってたのに。
嵐は何にも変わってなかった。

大野さんが、ほんとうに何にも縛られずにきちんとお休みできますように。
そして、また私たちの前に姿を見せてくれますように。

最近聴いた音楽2019-1

1.言って -ヨルシカ


歌詞が切なすぎる。受け入れたくないけど受け入れたい。受け入れたいけど受け入れたくない。
ラスサビ「もっと」の連呼、涙腺にくる。
逝ってることは言わなくてもいいんじゃんと思ったけどそれはそれで確定できる良さがあるのかな。



2.ゆるふわ樹海ガール -石風呂


コンテンポラリーな生活というバンドが石風呂さんだということを知って思い出した曲。
サビのメロディがいいのと爽やかなのにどこかべっとりした歌詞が好き。
今日も元気。



3.東京 -おとといフライデー


サビのメロディがどツボ。こういう動きするの大好きなんですよ……。曲を作ってるのはトリプルファイヤーの鳥居さんです。歌詞もいいと来たもんでもうこの曲すごい好きなんですけどどうすればいいのか。「私ほとんどスカイフィッシュ」という曲も系統全然違うけど超好き。



4.サイレントマジョリティー -欅坂46


連続アイドル。欅坂46の曲はいいんですよね。サビの入り方かっこよくない?メロディも好きだ。アンビバレントも好きなんですけど。



5.大不正解 -back number


back number基本聴かないんですけど、銀魂2のCMバンバン流れててこの曲はかっこいいなーって思ってた。



6.雨に唄えば -The Songbards


聴かず嫌いしていたけどようやく聴きました。ポストandymoriと呼ばれるものは大体聴かず嫌い。andymoriが自分の中でそんなに大きなものではなくなったので聴くことができる。だがこの曲は確かにと思った。サウンドが最高。ぐらぐら動くメロディが最高。




7.街 -The Songbards


ソングバーズからもう一曲。ラインミュージックにある曲全部聴いたけどこれが好きでした。 Aメロのラインがぐねんってなるのがよいじゃないですか。サビもどこかで聞いたことあるような懐かしさが合ってるじゃないですか。



8.やめてくれ -左右


色々聴いたけどこれがしっくりきた。二人でドラムベースギターボーカルパーカッションを割り振ってるのすごい。


9.ただし、BGM -ニガミ17才


なんか勝手に女性ボーカルだと思ってたのに聴いてみたら全然思ってたのと違くてびっくりした。なんだかっこいいじゃんかよ。

言葉と伝達

もっと表現欲が高くて、暇があれば小説を書いていた頃、自分が思い浮かんだ言葉をそのままメモに残した。忘れないように、いつか何かのネタになるように。その言葉が自分だけの価値観の中から生まれた自分だけの言葉だと思って疑わなかった。自分の言葉には自分だけしか見つけられないという、ただそれだけの価値のために、私はそれらをメモしていたのだ。ようやくそれがうぬぼれだったことに気づいた。私は私だけの言葉なんか見つけられてない。そのころ残した言葉たちは、表現を一時やめた時に捨ててしまった。もう思い出せない。だけどきっと今見ても、恥ずかしくて破り捨てようと思うだろう。でもその中で一つくらいは、今の自分に響く言葉があるかもしれないとも思う。そのころの私は言葉が欲しいなんて思わなくて、自分の表現が自分にとって一番しっくりする言葉だったはずだ。それでも自分が思っている言葉に当てはまる言葉を見つけられないときは、自分にただ語彙力がないのだと考えていた。今の方がきっと語彙力はあるのに、今の方が全然、納得のいく言葉に出会えていない。自分の気持ちを言葉にすることの難しさに日々打ちのめされる。自分が使う言葉たちは、結局どこかで見たことのある聞いたことのある、借り物だらけの集合体。思っていることを全てありのままに書けたらいいのに。ああ今思っていることを、未来の自分のために残して置けたらいいのに、さっきそう思っていたことは覚えているのに、肝心の内容は一つも覚えていない。だけど、自分が今垂れ流している思考をそのまま言葉にしても、伝わるとは限らないことを私はもう知っている。あとで読み返したとき、言いたかったことはここに書いてあることと違うし、ここの言葉は読み手に誤解やブレを与えてしまうことに気づいてしまう。じゃあどうすればいいのだろうって思う。推敲する。読み直して書き直してみる。でも推敲すればするほど、最初に自分が書きたかったこととどんどんズレていくような気がする。私が言いたかったのは、こういうことじゃなかった。でももう溢れてしまった言葉たちから、一番しっくりくる言葉は見つからない。きっとそこにはいない。埋もれて見えなくなってしまっている。こういうのって、努力でどうにかなるものなのだろうか。何度も何度も何度も何度も書いて血が出るほど書けば、上手くなるものなのか。言葉のセンスは磨けるのだろうか。いつもわからない。努力すれば上手くなるとして、一体何をすればいいのか。書きまくるって、何を。
私は言葉が好きだけど、究極言葉などいらないと思う。言葉は意思伝達のために生まれた単なる道具だ。言葉でわかりあうことなどほとんど不可能。なぜなら、誰もが本当に同じ意味で同じ言葉を使うとは限らないから。そうなると言葉のレゾンデートルがどこにあるのかわからなくなる。言葉などというものがあるから、それに頼って伝わると勘違いしてしまう。私たちは言葉依存症だ。でも、だからこそ私は言葉が好きだ。究極いらないのにいつまでも使い続けている言葉の力はどこにあるのか気になる。言葉だけでは伝わらないことをきっと私たちは胸の奥で知っている。だから工夫する。言葉による芸術は、その最たるものだと思う。その工夫が私は好きだ。大好きだ。言葉がそれだけで伝わらないことを知っているのになお諦められないのだ。
ごめんなさい、レゾンデートルって言葉を使いたかっただけです。