アイスクリームと獅子

音楽・本・映画・徒然

秋の気候が始まると苦しくなる。
私は夏が一番好き、切ないから。


秋も切ないけど、そこに苦しさが加わってくる。
あぁ夏がいない。
うだるようなあの暑さが消えてしまった。


あの苦しさの正体はなんなんだろう。


春も切ないけど、春はなんだか希望みたいなもので満たされて泣きそうになる。
夏はただただ切ない。蝉が鳴くたくさんの木の下を歩くと、雨の音を聴いているようで落ち着く。
ギリシャ語にはペトリコールなんていう素敵な言葉があるらしいけど、日本の蝉時雨だってなかなか美しいと思わないかい。


だけど秋はなぜか苦しい。
風が涼しくもなく暑くもなくて、嗚咽が漏れそうになる。


なんなんだろう。
何か、切なくて儚い思い出を思い出しているような感覚。

クラブナイトには行かない

寝たくはないけど、やることは特にない。かといって本を読もうという気分でもない。絵を描くというのもちがう。
そうしてとりあえずつらつらと文字の羅列を打って、言葉にして、意味を作る作業をする。
文章を書くだけで、それだけで良いと思えていた頃は、どこへいってしまったんだろうか。



でも、なんか最近、文章を書くことが徐々にまた、なんとなくできるような気がしてる。
もうなんでもいいよ。


なんとなく毎日が過ぎて行く、感情の起伏があまりない。
辛くはないけど楽しくもない。つまらない、仕方ない。
最後は結局なんの意味もなさない。虚無なんだよ、意味なんかない。
だから理由が欲しい、理由を見つけたい、でもその欲さえも虚無の前には何にもならない。



だけど世界は輝いていると思う。
素晴らしい音楽や映画や物語があるから。
でも光があれば影は必ず付いてくる。



痛みに酔っている自分がいつまでも死んでくれない。

andymori「クラブナイト」〜SWEET LOVE SHOWER2012〜 - YouTube

SUNNY CAR WASHについて書きたい

私が一番愛している音楽はandymoriだっていうのを、詳しく語るのは良いとして、知ったときには既に解散していた。
それがとてつもなく私の中では、いつも間が悪いというかなんというか、良いところで行き止まりみたいな。
「ようやく好きになれたバンドは解散していた」っていうどうでも良さそうな事実が私の中では全然どうでもよくない真実、とかまぁそういう話もよいとして。




で、漠然と「あぁ、andymoriみたいな、そういうバンドいないのかなぁ」なんて思っていろんな曲聴いてたんだけど巡り会えなくて。
それが2年間くらいだったと思うんだけど、今年聴いたSUNNY CAR WASHの「キルミー」という曲に、

あ、いた

ってなったよって話がしたい。


ねぇキルミーベイベー
殺してくれ
溢れるほどの愛で溺れさせてくれ
もう何もいらないトイレのタイルにそう誓うんだ
ねぇキルミーベイベー
殺してくれ
溢れるほどの愛を僕に分けてくれ
100分の1でもいいから僕に愛を
故郷には緑を

なんでトイレのタイルに誓うのかは全然わからないんだけど、とにかく殺してほしい愛してほしいって言うわけ。

歌詞だけ見たらすごく重いんだけど曲は超爽やか。歌詞と合わなそうだと思う?聴けばわかる。最高に合ってる。

で、「故郷には緑を」っていうキラーフレーズ。これがあるから最高。こういうことを歌えるバンドを私はずっと探していた!



今日この「キルミー」が入ってるSUNNY CAR WASHの2ndデモを買ったんだけど、3曲全部良かった。
3曲目の「ティーンエイジブルース」とか、イントロ「ハッピーエンド」そっくりで、ウォークマンがバグってandymori流し始めたのかと思ったわ。



でもな、andymoriのパクリじゃん、なんて全然思わない。
それはやっぱり、SUNNY CAR WASHにSUNNY CAR WASHにしかない良さがあるからだと、思う。
そこらへんは言葉にできるほど纏まった考えにはなってないけど。



とにかく、SUNNY CAR WASH、最高、ありがとう、頑張ってください!ってことが書きたかった。おしまい。







SUNNY CAR WASH聴いた後にandymori聴いたらやっぱりandymoriは絶対的だった。
すごいや。小山田壮平

あの日と同じように

一人きり部屋の隅で生まれた情熱が
あの日と同じように あの日と同じように



andymoriの「ユートピア」と言う曲の一節。
3つ目のアルバム、「革命」に収録されている。

andymoriといったら、私は何より1stと2ndのあの凄まじく尖った感じがとてつもなく好きなんだけど、最近この「革命」と言うアルバムが素晴らしく素晴らしいということに気づいた。

で、その「ユートピア」と言う曲について思うことがあるので書きたい。




終始、バンドを組んでいるんだ 素晴らしいバンドなんだ みんなに聴いてほしいんだ バンドを組んでいるんだという小山田じゃなきゃ歌えないようなことを歌う。

自分が一人きりで作った曲が、バンドで演奏すると、あの日と同じように情熱が戻ってくる。
それが素晴らしいんだって小山田は歌ってるんです、たぶん。



これって、すごくわかる。




例えば自分が書いた文章があって、ずっと先に読み返してみると、なんでこんなこと書いたんだっけとはならないまでも、そのときに感じていた情熱とか昂りみたいなものって、あんまり思い出せない。


それが、彼の場合は、バンドで演奏することによって、あの日と同じように、あの日と同じように蘇るってわけです。

でこの二回繰り返される「あの日と同じように」がすごく重要だなって思って。

高校の時の楽しかったあの時も、中3の時の何にも代え難く思ったあの時も、もう、あの日と同じような情熱で、思い出すことなんてできない。
時間には抗えないし、自分の決断が思い出すことを邪魔したりする。




そういうときに思い出すんです。andymoriユートピアを。
あぁ、あの日と同じように思い出せたなら、それはとてもユートピアなのに、って。

過保護のカホコ 第5話

過保護のカホコが私のツボを押しに押してきてしんどいので書きたい。

竹内涼真さんは今まで知らなかったんですけど、すごくいい演技をしますね、ほんと。
説得力のある演技をする。麦野初が何を感じているのかよく伝わってくる。

それとカホコのパパ役の時任三郎さん、とても好きなんです。海猿での演技を見てからとても。


ほんで何よりも脚本とストーリーの良さです。
ママとパパに守られて、1人じゃ何にもできないカホコが、いろいろとワケアリそうな麦野くんという男の子に出会い、変わっていく。
っていうめちゃくちゃありがち!ありがちなストーリー!
なのになんでこんなに面白いんだ!!

それはセリフがいちいち良かったり、キャラクターの表情や俳優さんの演技の良さ、みたいなものが全部バランスが良いからなんじゃないかなと思う。

で、先日の5話では、麦野くんのワケアリの、ワケについてようやく触れられました。
カホコは何にもわからず、ずばずばと人のデリケートな部分を突っ込んでいく。
だけどそこには何の悪気もない。ただただまっすぐ、「どうして?」「私が何かしてあげられることは?」という気持ちだけ。

大事に持っていたもう使えない絵の具を、麦野くんが川に投げ、母親に対する投げやりでやりきれない思いを吐露すると、カホコは川の中に服のまま入っていき、絵の具を探す。

私、こんなの初めて。みんなに仲良くしてほしいのに幸せになってほしいのに、何にもしてあげられないのが悔しいの。それって私が過保護だから?だったら、自分が過保護なのが本当に嫌になる。

胸にくるものがあった。自分のダメさに気づいて、塞ぎこむんじゃなくて、それがどれだけばかげていることだとしても行動するカホコ。

それを見て麦野くんこそ感じたのではないでしょうか。
「おれ、こんなのはじめて」
と。
自分のためにまっすぐに行動されていること。親に捨てられ施設に預けられた彼にとってそれは、受け入れ難くも、嬉しいことだったんじゃないかなぁ。

変わっていくのはカホコだけじゃなくて、麦野くんも、なんだね。
すごくテンプレ的な作品なのに、こんなにも胸を打たれる。

というしがない感想。
あー、終わってほしくないなっ!!

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これが私の好きなものです!
と、自信を持って言えるものがない。

お笑いも音楽もドラマも本ももちろん好きだけど、なんだろう、ゼリーの上澄みだけすくって飲んで、美味しい!って言ってるみたいな。
そこはゼリーじゃねぇぞ、ゼリーはもっと固形っぽいところだぞ、みたいな。

いや、わからないけど。
ちゃんとゼリー食べてるのかもしれないけど。
自分の「好き」に自信がないんです。

それと、好きになるのが怖いみたいなところある。
だって好きになっちゃったら、金かかるし、時間も取られるし。心も。
まぁ好きな時はそれで全然いいんだろうけど冷静になったらそんなの。私には抵抗がある。

だから解散したバンドが好きだったりするのかな。なんか関係するんだろうか。

その人が漏れる

大人って、基本的に職業の皮を被ってるじゃん。
わたしももうすぐで成人になるけど、それと大人になることとは、全然違う話。





わたしが見る大人は主に先生と、テレビに映る芸能人の人々、運転手、電車に乗る人、スーパーとかの店員、とか。

みんな、人間性なんかかけらも見えない。その人がどんな人なのかとか。人間らしさみたいなのとか、感情とか。見えなくて、別にそれにはなんの疑問も持たないし、ていうかそうじゃなきゃ困る。

いきなりテレビのドキュメンタリーでもないのに自分について語りだしたり、唐突に泣いたり笑ったり、されては困る。





だけど、芸能人がテレビの収録をするとき、先生が生徒たちに講義をするとき。たまに、数十分に一回くらい、ちらっと人間が見える、人がいる。

それがわたしはとても好きだ。
「あっ、今。」と思う。
職業というものをかぶってその役割を演じている大人たちの、ふとした表情や口調や仕草に、「その人」が見える。人間を感じる。





漏れ出してる何か。
いつそれを感じるのか、それが一体なんなのかはよくわからないけど、何かがその人から漏れ出していることは確かなんだろう。

完璧に職業を演じきれている大人と、たまに「その人」が見える大人。
わたしは断然、後者に惹かれる。
意図せずに、作らずに、ふっと人間が見える。
そういうものに、色気を感じているのだ。