アイスクリームと獅子

気にしないでください

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*これは記事ではありません







はじめに



徒想
徒然草と随想から取った私の造語です。日々の考えていることについて節操もなく書き連ねています。
要は所謂雑記。


読んだ本の感想とか、読後の感覚とかを書いています。ネタバレはないと思います。


ドラマ
見たドラマの感想です。だいたい雑感で、メモみたいな感じで思ったことを書いています。ネタバレしてます。


音楽
その時好きな音楽について書いています。だいたい一曲について好きなところとかなんで好きなのかとか書いています。


映画
映画館で観た映画の感想を書いています。ネタバレしかしてません。たまにテレビとかで観たもので面白いものも書いています。


お笑い
お笑いの番組とかライブの感想です。


日記
日記です。その日あったことと感じたことを書いています。

勇気

本を読んでも感動できなくなって
音楽を聴いても感動できなくなって

ラジオを聴いていれば笑うけれど
別に感動することはほとんどなくて

感傷中毒の患者が向かう先は映画館しかなくて

映画館に行けば感動して涙を流すこともある


でも
ずっと、日々は虚しくて、
別に虚しくてもいいって思える日もあって、
同じ毎日が同じように続いていくことを幸せだと感じられるようにもなってきた。

でもどうも虚しくて仕方なくなることを止められない日もある。
自分が孤独であることが悲しすぎて気分が悪くなることもある。


ポンデリングを初めて食べた時の感動を味わうためには、ものすごく高い食べ物を買わないといけないけど、ものすごく高い食べ物だなっていう感覚が入ってプラスマイナスだから、ポンデリングの感動は味わえない


って言ってたけれどまさにそれだ。

憧れの作者に今出会えた時よりも、幼い時ジャンプを初めて読んだ時の感動のほうが高い。


そういうもんなんだ。
そういうもんなんだろ。


そういうもんだって諦めていく勇気を私にくれよ。

朱に交われば

人や環境に影響を受けやすい。
そりゃあもうすぐに受ける。
私はカメレオン。遠慮しすぎのメガネザル。愛をください。

本とか溢れるネット情報とかTwitterの匿名に踊らされていると、自分が依拠している環境とは相反する考え方に影響されることが多々あって、カメレオンとしては厄介だ。

そんな考え方、今まで思いつきもしなかった!って。
私はそれ、選んでこなかった!でもそれを選んでいる人がここにいるなんて!カルチャーショーック!
今いる場所は青いのに、体が赤くなってきちゃった!どうしよ!やばいよ!見つかるよ!飯食えないよ!っていうね。

これって、自分軸の無さから生きづらさみたいなものに繋がるなってすごく思ってた。だって飯食えないのよ。死活問題。
だけど、環境に影響を受けないなんて不可能説が私の中で濃厚になってきている。

人や環境に流されるな、という言い方、あれはダウトだ。そんなの無理じゃ。朱に交われば赤くなるし、郷に入ったら郷に従うし、住めば都なんだから(住めば都?)。

人や環境に絶対流されないで過ごすっていうなら、山の中にこもって暮らすか、出家して山の中に籠るかのどっちかしかないだろう。宇治山と人は言うかもしれないが住めば都なんだから、それもよかろう。

そもそも自分軸って一体なんだ。自分の考えって結局、人から聞いたこと、自分が体験したこと、本やネットから得たこと、エトセトラがミックスされて、いらないところは削ぎ落とされて作られるものだろう。必ずそこには他者の介在があって、それに影響される自分がいて、成り立つものだ。

だから、人は環境や他者に影響を受ける!まちがいない。てか、受けないなんてありえない。受けないならいつどこでどうやって人間は自分の考えとか、自分の意思決定をできるというのだろう。


厄介なことに、なりたい自分像って結局ひとつじゃないんですよ。ひとつのわけないんじゃ。
でもこの体はひとつだけなんよ。
きのこ帝国だってそう言ってるし、きのこ帝国が言わなくたってそんなことは誰にだって明白だ。

いくつもの可能性は輝いてるが
この体はひとつだけ

きのこ帝国「桜が咲く前に」

気持ちはひとつじゃないが体はひとつだけなので、今ここにいる私は、今ここの近くの人や、今ここの環境に依拠していくのは当たり前だ。そしてそれは自分が選択して今ここにいる。
でも、気持ちがひとつじゃないので、依拠していない環境や人に影響されることは往々としてある。なぜなら、現在人はさまざまな環境に身を置くことが可能になっているからだ。体はひとつじゃないが、存在は複数あるかのようだ…。



だから昨日と全く違うことを言っても、それは一度のショック反応的なものだから、気にする必要はない。
そのうちそれがうまく取り込まれて、他の情報とミックスされて中和されて、自分が選択する時、以前とは少し違うものを選択するようになっている、くらいのものなのだ。

だってそういうもんだし。
そういう感じだし。

だから私はこれからも他者や環境の影響を受けまくります。嫌な影響は受けても取り込まずに逃げます。

それと、影響の受け方は、「これはすごくいい影響だ!」と思ったものと近いものに触れるとうまくいくような。例えば本だったら、その本に登場する別の本とか。
うまくやろう。
影響を受けたくない!自分軸持ちたい!って言ってたら、多分こういう考え方には至らなかったんで。

神様に会いに行くように

気分の変動が激しい。

それは迫りくる就活に対する不安のせいかもしれないし、忌まわしき女性ホルモンのせいなのかもしれない。

いや、もしかしたら、全くそれらのせいではなくて、ただただ得体の知れない不吉な塊のせいなのかもしれない。


ともかくも、私はこれから、自分の気分の変動とともに生きる道を探さなければならないのだろうな。
そう思いながらここ最近は過ごしている。
目標が立たないのもこのせいである。


言いたいことが尽きた。



否。
書きたいことはたくさんあったのだ。


だけどそれらの雑多な考え事や思考のかけらは、時間の波とやらに押し流されて何処かへ行ってしまった。


でも本当は、多分私なんかが書くようなことじゃないんだ。たいていのことはもう、誰かが言ってる。


結局私が言いたいことは、andymoriを引用してしまえば事足りてしまう。

ずっとずっと思ってたことが
考えるのをやめたせいで
わからなくなっちゃった
それでいいと諦めた

「空は藍色」

Sunrise & Sunset 欲しいものは尽きない
Sunrise & Sunset 悲しみは消えない

「Sunrise & Sunset」


それでいいと諦めてる。
「諦めてる」と書くことによって、諦めたことにしている。諦めたことにしたいのだ。


正直これ以上生きなくていい。
明日、いや今すぐ死んでもなんの後悔もない。
でも自分から死ぬ勇気はないので、仕方なく生きてる。
仕方なく生きてるわけだから、楽しくなったらラッキーで、楽しくなくても普通なはずなんだ。

どうしたいもこうしたいもない。
10年後私がどうなってるかなんて、今の私が決められることではない。
その時その時の出会いとかタイミングとかバランスとかで、自分がベストと思う選択をその都度していくだけだ。


あとは勝手にかみさまが決める。

一年の計は、

今年の目標はまだ立てないことにする。

トリプルファイヤーのギターの鳥居さんが書く文章が好きだ。さっき年末に上げていたブログを読んで改めて思った。
自分のことは自分で可愛がりたい、みたいなことを書いていた。

本当にそうだな、と思う。
私もそうやって自分のことを可愛がりたい。
誰にも見られなくても、自分の部屋は自分のために綺麗にしておきたい。
私もそう思った。


私もそう思った。


私もそう思った、というのは一体なんなのか。


読書は、他人にものを考えてもらうことである。(略)だから読書の際には、ものを考える苦労はほとんどない。自分で思索する仕事をやめて読書に移るとき、ほっとした気持になるのも、そのためである。だが読書にいそしむかぎり、実は我々の頭は他人の思想の運動場にすぎない
ショウペンハウエル『読書について』


僕はどうしたらいいのか、もうわからなくなってきている。


一度、夢リスト100を作った。
「ブログで稼げるようになりたい」なんて書いたが、本当に私はそれが夢、なのだろうか?


ブログは私が書きたいように書いているだけで、私が書きたいことを書くための場所で、そこに誰かが入ってきて、誰かのために書き始めたら、私はそれを楽しいことと思えるだろうか?


むしろ私の夢は、「ブログで自分のことを表現することに磨きをかけたい」とか、そういう方向に向かなければならないのではないか?


なければならない。


〜なければならないってなんなんだ。



私はずっとそういう思考方法だ。
もし〇〇したければ〇〇しなければならない。
そうやって自分なりにレールを敷いていたほうが、自分で進みやすいからだ。


だけど最近は感じる。
その思考法が自分のことを苦しめている。

泥まみれになって進んでいる人や、スコップでひたすら道を整えている人を見て馬鹿にしている。
本当は羨ましいのかもしれない。


もうそういうの全部、やめにしたい。
自分のことも、他人のことも、世界のことも。
自分がしたいと心から思うことだけしていたい。

セルフ義務感や、誰かの意見や強すぎる自意識とかに振り回されるのはもう、本当に本当に嫌だ。


それに振り回されない自分になるために2020年をどういう年にするのか。
これから考える。
2020年にこだわることもなかろう。
私は私らしく生きられるようになる。
いや、なりたい。




本にも映画にも頼らずに生きるなら自分が何を感じたのかを自分の体験からだけで感じないといけないし、本とか映画もその体験に含めることは可能だけどかなりのクリティカルシンキングが必要だ。なんにせよ。(またセルフ義務感)

2019年

2019年。


嵐が活動を休止すると発表した。


成人式で会いたい人たちに会った。


オードリーの武道館ライブに行った。

春日が結婚した。

山ちゃんが結婚した。


初めて大学の人たちを誘って遊んだりご飯したりした。


天気の子観て泣いた。

トイストーリー4観て泣いた。


トリプルファイヤーのライブに何度か行った。


台湾に教育実習に行った。



ニューアコに高校の友達と行った。


たりないふたりをライビュで観た。


犬も食わない話を生で観た。


若林が結婚した。


初めて嵐のコンサートに行った。


アンタッチャブルが復活した。


私はその間、インターンシップに何個か行った。



これだけのことが起きて、これだけ私自身に起きたことも多かった。


だが実感としてあるのは、社会は、私と全く無関係に動いていくのだということ。


それでも私と繋がってくれる友人がいて、その友人は私と話せてよかったなんて言うのだ。



今年の目標は「ちゃんと生きる」だった。
目標を立てるようになってから初めて、立てた目標が達成できなかった。


今年はよく泣いていた。
成人式でも泣いたし、武道館ライブも泣いたし、もうとにかく泣いていた。
理由のない涙が電車の中や学校のベンチで止まらなくなることもあった。

大したことは何もしていないのに、辛いと思う。
そんな気質とも付き合っていかなければならないのだと思った。
途方もない気がした。


いまだに私を縛っているものは一体なんなのだろう。
いまだに私の気持ちに覆いかぶさっている蓋はどうやったら取れるのだろう。


私は私の答えを見つけなくてはいけない。
もうタイムリミットまで長くない。
正直見つかる気はまったくしない。


ネガティブ?考えすぎ?
人はそう言うだろうか。
ああ、あんたらみたいに、ポジティブで楽観的に考えられる人間に生まれてきたかったよ。


毎年、一年を振り返る時は、「なんだかんだ今年も良い一年だった」と振り返ってきた。
でも今年は、そう思えない自分がいる。
正直、人生の中で一番最高だった日が今年に含まれている。
それでも今年が良い年だと思えないのは、その日以降ずっと、自分との折り合いをつけるどころか、どんどん複雑さが増していってしまったからだ。


これは、私が自分軸で生きられるようになるための必要な経過なのだろうか?
そうであればいいのだが。

THE MANZAI2019

2019年11月29日、ベッドの上で何やらTwitterがざわついていた。アンタッチャブルが復活したのだ。
アンタッチャブル復活はお笑いファン全員待ってた。と、お笑いファンなりたての私が、その喜びを大きな主語と分かちあいたい気持ちを許してほしい。

春高校で俺、よく柴田と仕事をするじゃん? で、柴田と飯塚さんが並ぶと、柴田はすげえボケるのね。で、しばっちょすげーボケるから、「本当にボケるの好きだなー」って言ったら、「そうだよ、佐久間さん! 俺、本当はボケやりたかったんだけどね、天才に会っちゃったからしょうがなくツッコミやってんだよ!」って(笑)。そういう風によく言うのよ(笑)。「天才に会っちゃったからさー、なにやっても敵わねえからツッコミやってんだよ!」って言っていた(笑)

佐久間宣行のオールナイトニッポン0 2019.07.24放送 オークラゲスト回

アンタッチャブルは2004年にM-1で優勝していて、私はそのとき6歳。だから、アンタッチャブルの凄さみたいなものをリアルタイムで感じたことはない。
アンタッチャブルってそういえば、ザキヤマしか最近見ないけど、柴田とのコンビだったよな?って思っていたのが私のアンタッチャブルに対しての一番古い記憶だった。
いつか柴田さんが復帰したときも「ふうん」くらいにしか思ってなかった。でもなんかのバラエティ番組で見たツッコミもボケもめちゃくちゃ面白かったのを覚えてる。ザキヤマはいわすもがな、自分からボケに行くで有名、ボケモンスター。ふられてないのにボケる。見てればわかる。
その二人が漫才ってどんな感じなんだ?って興味を持ったのが大学生になって、自分はお笑い好きだという自覚を持ってから。その見た時の衝撃は忘れられない。こんな漫才師がいたのか…。そして今もまだ名前を残しているのに二人では活動していないのか…。という気持ち。それはしばらくしてからアンタッチャブルっていつか復活するんだろうな、名前残してるしという気持ちになり、オークラさんゲストの佐久間ANNで聞いたこのエピソードが、私をしてアンタッチャブル復活に胸熱せしむることになった。
10年のブランクを感じさせないふたりのぶつかり合いがそこでは見られて、うわうわうわうわうわ、と気持ちが膨れ上がりその夜は興奮でなかなか寝付けなかった。

THE MANZAI2019

アンタッチャブルはまだ二人のギアが合ってないところがところどころあったけど、それも全部二人とも顔見合わせてこそばゆそうに漫才やってる姿見てたら最高すぎてもうずっとニヤニヤなやつだった。
エンディングで二人が並んでるだけでなんだか胸が熱いよ。
アンタッチャブルの漫才ほんともっと見たい。あとはビートたけしが全部言ってた通りだわ。アンタッチャブルの漫才が一番好きかもしれないと私は考える。もっとアンタッチャブルの漫才が見たいよ。


千鳥最高だったな。腹よじれるほど笑った。
「開いとるラーメン屋は開いとるけどしまっとるラーメン屋はしまっとる」だけで5分はwwもうwwずるすぎんwwブログなのに草を生やすことでしか表現できない。
アンタッチャブルおぎやはぎ→千鳥の流れよ。アンタッチャブルはM1最高得点の人だし言わずもがな、その後の2組はM1では評価されずともこうしてTHE MANZAIに出て愛されている2組じゃないですか。この流れよ。


特筆したいのはウーマンラッシュアワー
私は村本さんのことが芸人としてかなり好きだ。
ウーマンの漫才は声出して笑ったし、透明人間のくだりはじんときた。ちゃんとテレビ用につかみもオチも作ってた。毎年いいけど個人的に今年のウーマンは最近で一番よかった。かっこいい。パラダイスのツッコミがもはや笑えてくる不思議。笑
ウーマンに対して毎年ほんと飽きもせず賛否両論するなあ世間は、と思う。去年もやってたじゃないか。
村本がしてんのは政治の話ではなくて人間の話だと思うんだ、私は。


後は銀シャリが良かったですね。銀シャリって意外とツッコミにセンスワード入れてくるからね。急にWボケになって面白かった。
霜降り明星。「どうぶつの森か」ってツッコミなんなの。第七世代は世代が近いから、固有名詞が出てくるとすごく新鮮なのに自分も世代それ!!ってワードが出てくるのがなんか嬉しい。
同世代の人間が活躍するってこういう気持ちか…ってなる。