星野源のニューアルバム『Gen』。
アルバムジャケットに写る彼を見たろうか。EurekaのMVの彼にも思ったが、その顔は「恋」が世を席巻した時に「どうも〜!星野源でーす!」と狂ったように踊っていた彼を思い出すとどうにも食い違う。
それは単に年齢を重ねた、ということでは片付けられない。むしろ1stや2ndのころの星野源の顔つきに重なりながら、ポップスターを通過し切った人間の穏やかな表情にも見える。
星野源という人に対して、私は複雑な感情を抱いている。それは単に「好き」では言い表せない、「嫌い」とも言い表せない感情だ。*1
でもいつも、彼の楽曲を聴くと、MVの彼の笑顔を見ると、私はその複雑な感情を全て手放して、音楽に没頭する。これが彼の怖いところだ。今作『Gen』は、その没入の純度が最も高いアルバムだった。
意味から離れ、「わからない」を面白がる。
これが私がこのアルバムに感じた全体的な印象だ。
そこに私は感じたことのないほどの安心を覚える。
『Gen』の感動を誰かと分かち合いたくて仕方がない。
でもきっと、本当の意味では分かち合えない。
みんなサブスク入ってるだろ?
一旦聴いてきてくれ、マジで。
「2(feat.Lee Youngji)」——わからないまま、祈るということ
なかでも「2(feat.Lee Youngji)」は、特別な一曲だ。
言葉はほとんど聞き取れない。言語が混ざり合っていて、どこまでが英語で、どこからが日本語かも曖昧で、さらには聴き慣れない言葉も入り込んでくる。
はじめ歌詞を読まず聴いていた私は、「何語だろうこれ? そういえばこのアルバムって海外アーティストのフィーチャリング強いアルバムだったね…」くらいの感想だった。
星野源による日本語パートですらほとんど聞き取れず、心地いい音の羅列として流れていく。
この歌詞、後から気づくことになるのだが、本当にすごい。わかりますか?このすごさが。ずっとイ音で韻踏んでる。そんな技巧には最初目も向かなかった。それもすごい。私はこの歌詞を読みながら2度目の2を聴いた時、気づいたら大粒の涙を流していた。
やばい。やばすぎる。なんでこんなに泣いてるの、私。泣くような曲じゃない。言葉の意味もほとんどわからないし、明るくて、踊れる楽しい曲だ。でも、でもこの曲中に繰り返される「祈り」に泣かずにはいられなかった。
意味から離れて、わからないままで、なお共にあろうとすることへの祈り。
生まれてきてしまった私が、生まれてきてしまったあなたと抱きしめ合う瞬間があればと、以前私は書いたことがある。それは祈り。私はこの曲を聴いた時、その瞬間が訪れたような気がした。
いかれた2人舞い降り詩い紡ぐ祈り
異星から2人舞い降り踊り交わす瞳
笑う僕らに勝てる者などいないのに
ここにいるのは「いかれた」2人であり、「異星から舞い降りた」2人だ。その2人が歌う。踊る。これ以上何を言うことがあろうか。
ここに書かれているのは、強い祈りだ。
「喜劇」——よそ者が手にする、ささやかな幸せのかたち
「2」の前に置かれている曲は、SPY×FAMILYのED、かの有名な「喜劇」である。
思えば、「喜劇」との出会いは最悪だった。
そうとは知らず再生したアニメSPY×FAMILYのEDがこの曲だった。歌に入った瞬間、「は?ここにも星野源かよ」と思った。その当時、私のいくところいくところ星野源がいた。
その頃の私は星野源が、なんというか、オブラートに包んで言えば、好きじゃなくなっていた。そのせいで2話を見るのをやめた(理不尽)。
でも、あのイントロ、あのAメロ、少し聞こえたあの部分だけで、もう、「あ…いい曲かもしれん…」と身体は予感していた。「俺のからだが星野源をいいと思うのをやめられない!」ムカついた。「もうやめてくれ〜〜」と思った。
私「エンディングは誰かな〜(わくわく)」
曲「争い合って〜♪」
私「星野源?!?!?!?!?」
そして数ヶ月前、私は「喜劇」と出会い直した。
「これは私のことだ」と思った。
生まれ落ちた日からよそ者
「喜劇」はまだ、結構意味の強い曲だと思う。
この歌詞を聴いた時、私は「地獄でなぜ悪い」を想起した。
生まれ落ちた時から居場所などないさ
この曲はかなりメッセージ性の強い曲だと思うし、「喜劇」もその系譜を汲んでいる、そう思う。
「地獄でなぜ悪い」は「ただ地獄を進むものが悲しい記憶に勝つ」と歌うが、「喜劇」は、「君とのささやかな幸せ」をよすがにする。地に足のついた、それでいてふざけた生活のワンシーン。
生まれた時からよそ者のように感じていたこの世界で、
それでも「手を繋いで帰ろう」と言ってくれる誰かに出会いたい。
「私の居場所は作るものだった」と歌う声が、
まるで自分の中の誰かと重なるようだった。
「喜劇」を経て「2」へ辿り着く。
ここに物語を感じざるを得ない。
「喜劇」の「生まれ落ちた日からよそ者」が「普通のふりをしたあなた」と出会う、というのは、そのまま「2」の「いかれた2人」のことだと思う。
普通のフリをしていた2人は、居場所を自分で作る。それが「2」の「否定から二人は降り」という歌詞や、強い祈りに繋がると思う。
生活から、もっと観念的な世界へ。
正直、こういう解釈をするのはあまり好みじゃない。なんかゲームみたいな、望んでないフィールドで、どの受け取り方が優れているかどうかを決めたい、というおかしな磁場があることを「解釈」や「考察」という言葉に普段から感じているからだ。胡散臭い。
アルバムの曲順に作者の意図がないわけはない。
しかしだからといってなんなんだ、と思う。たかだか曲順にそこまで意味を求めていいのか。それはこのアルバムが持っている「意味から離れる」という美しさとは正反対の行為にも思えてくる。
今はもう何かを伝えたいとか何か言いたいみたいなのが全くないです
意味ないって楽しいと思うんですよ
意味あることが中身があるってなんとなく思っちゃうけど、多分あんま関係ないっていうか
意味が見つかったら幸せになるってなんとなく思ってるけど多分、意味と幸せっていうのは全然多分別で
意味がなくても面白い曲ってもっと作れるよな
これらは、星野源が「あちこちオードリー」で発した言葉だ。
私自身、「言葉から離れたい」と思っている。
その思いは年々強くなる。
伝えようとするたびに、言葉は何かを削ってしまう。
どうしたって孤独だし、言葉をいくら尽くしても、そこには誤解や危うい共感に満ちる。
年々、言葉を信じられなくなっていく。
それでも、私は語りたかった。
喜劇の素晴らしさ、2の素晴らしさ。
そしてこれらが続いて置かれていることの、リスナーの私が後付けした意味を。
*1:上記のインタビューを読み少し認識を改めた。詳細は私のコセンスに書いた