激しい希死念慮や自己否定に襲われることがなくなって、多分1年くらい経つ。
それらに襲われていた時、よく考えていたのはキャリアとか暮らしとか経済面とかの将来のことだった。それを考えないようにして手に入れた精神の安定。
そろそろまた考えた方がいいのでは…? という気持ちにもなったりする。
でも、未来のことはぼんやりしすぎてて、なんの像も結びつかない。
それを考えていたから苦しかったし死にたかったのであって、よう考えたらまだ死ぬ必要はないよなってなって、前向きに生きるよう脳を改造してきた、この5年。
自分のやりたくないことからは逃げ、やりたいことだけをやり、それで何が悪いねんと開き直っている状態を、いつまでもいつまでも続けられたらそれが一番いい。どうにかこのまま逃げ切りたい。
でも、逃げきれなかったときのことも、考えないとダメじゃん?みたいな。リスクヘッジ。キャリアプランニング!ライフプランニング!最悪な響き!不安をもっと根絶するために!もっと豊かになりましょう!
うーんでもさ、不安って一生なくならないし。なにをしても。まあなんかうまくいかなくなったらそん時に考えれば良くね?っていう楽観的な気持ちもある。
とはいえとはいえ、「未来のこと、考えてみませんか?」と自分に問うてみるわけである。
ほら、うん、みんな友達は結婚とか子育てとかして、自分なんかとは遊んでくれなくなってさ。なんか会社でも独身女ということで雑に扱われたりしてさ、スキル?なんかねえからひーひー苦しんでやってさ。
今でも体調なんて超いいわけじゃないのに、40とか50になったとき、フルタイムで働ける身体なのでしょうか。ゾッとする。未来に希望、ねえわ。
そうなると、もう、ね、その未来を回避するための行動?大体それ、なんだよ。正解なんかねえよ。そんなもん。
いつか来ないかも知れない未来のために、今を犠牲にするなんて。なんてなんて虚無感の煽られる行為なんでしょう。虚無は虚無でも煽られる虚無、なーんだ。
そうなると、もう、なんもしたくないわけです。元来。そもそも生きていたくねえから、に舞い戻る。誰が産んでくれと頼んだ!
未来のことを考えるというのは結局、「いつかはさっさと死なないといけないよな…」という、淡い希死念慮に接続している気がするのです(これがこの記事で言いたかったことの全て)。
やりたくないことやらなきゃいけなくて苦しむくらいなら、死ぬ方法を考えよう〜という自己啓発を始めてしまうわけです。
おお、神よ。世界に私を生み落とすべきじゃなかった。
未来のことを考える=死。短絡的な等号。
🍨
はい。
まあそういうふうに考えてしまうので、やめようね、が、今。
未来のことや過去のことを考えるのは、やめようね。
今を対処した先に未来があるのなら、今を対処し続けられれば問題は、ない。と、楽観的に考えている。
大体今述べてきた最悪な未来像というのはどこからきているかというと、インターネットや現実世界でかけられた呪いやシェイミングから来ているんですよ。
「そんな歳で恋人の1人もいないなんて。結婚も出産もする気ないくせに、バリキャリでもないなんて。恥ずかしい」
誰ですか、そんなことを言ったのは。
私は絶対に誰かをシェイミングしたくないです。
Twitterのおすすめ欄に流れてくる不快極まりないツイートは、すべて呪いとシェイミングです。
とはいえ、じゃあ、自分が結婚も出産もせずにいる選択をしたなら老後1人になるのは自分の責任じゃんかとか。
スキルも何も身につけずに、体調崩して休職して転職できなかったら自分の責任じゃんかとか。
まあ、あるじゃないですか。ね。
ふざけんなよって感じですけど、事実そういう社会なので、怖いね。
でも、まあ、大丈夫!なんとかなる!
今までも自分でなんとかしてきたやん!
という、根拠のない信頼感が、何よりも大事。
精神論かーい。まあ今の所の結論、精神論。
そんなね、銀の弾丸は人生においても、ないよ。
というわけでもう書きたいことは書き終わったんだけど。
「死生観2025」などという大仰タイトルをつけたので、もう少し書く。
生きている・生きていくことについて
どうして生きてるんだろう?という実存の問題を考える時間というのは減っている。
生きていくことは、やっぱり怖い。
生きていること自体一つのギャンブルであり、勝率もわからないから。
とりあえず、友達と会い、酒を飲み、フェスに行き、音楽を聴き、自分で言葉を紡ぎ、音楽を奏で、笑い、話す。
それだけで今の人生のリソース足りない。
それは楽しいことなのでまあ、いいか。
勝手に産み落とされたので、いったん生きてる。
快楽主義すぎる。
死ぬことについて
淡い希死念慮は、今書いたようにあるわけだ。
未来に対するなんの希望も持てなさと言い換えてもいいだろう。
ちょっと元気なくなると、「あんまり考えないようにしてるけど本当はずっと死にたいんだと思う」みたいな感じで、ネガティブ真実創造思考になることもよくある。
とはいえ、死ぬのは怖いし、なんで苦しい思いして死なないといけないんだろ?という気持ちもある。
楽に死ねるなら今すぐに死にたいとかつては思っていたけど、それも今はあんまりない。
まだ苦しくないから死なないでおく。
でもいつかはスッと死にたい。
ていうかまあ、積極的に薬飲んで死ぬ選択はしないけど、不可抗力的に死んでしまうのは別に、そんなに嫌じゃない。いま死ねてラッキー!
あの時(過去の任意の瞬間)に死んでしまっても全然良かったんや。
ファッション希死念慮から淡くてポップな希死念慮に進化した。
ちなみに、死んだらどうなるのかって考えの中には、生まれ変わりとか、いろいろあるけど、私は死=何もかもなくなることと思ってる。じゃないと困る。
生まれてきたこと・産むことについて
生まれてきたことの是非と産むことの是非は別問題なのに、ベネターなど反出生主義の議論はそこを混同するような煽り(生まれてこない方が良かった)をしてるんだろうと疑問に思う。
まあ生まれてこない方が良かったと私は思ってるから、その煽りを受けて産まない方がいいという思想に辿り着いたわけで、そういう意味では正解なのか。
密接にはつながってはいるのは確か。
生まれてこない方が良かったと思っているし、新たな命を産むべきではないと思ってる。