アイスクリームと獅子

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働きたくなくてもいいじゃない。嫌働舎のZINEが本当に素晴らしいので全力で推す。

先日の文フリ東京で購入した、嫌働舎さん(Twitter)のZINE『働きたくない vol.2』がとてつもなく素晴らしかったので全力で推したい。

働くことについての個人的な気持ちが書かれた文章をもっと私は読みたいと思っていて、先日そういう記事を書いた。
『働きたくない』というZINEはまさにそういう冊子だ。
書かれているエッセイは作ってる人たちが書いたものではなく寄稿されたもので、さまざまな職業の人の語りが読めるのも面白い。

仕事の話を読みたいと言っても、「成功の秘訣」とか、「生産性を上げるには」とか、そういうものを読みたいわけじゃない。
このZINEが切り口を「働きたくない」にしたのは本当に大成功だと思う(誰目線)。

「働きたくない」という切り口は一見「何言ってるんだ?」と捨てられてしまいそうなものだし、下手すると愚痴やつまらない話に終始してしまいそうなほどキャッチーすぎるように見える。
けれども、そこを掘ることで「個人的な働くということに対する気持ち」がよく出てくるのだとこのZINEを読んで思った。世の中にはあまりにそういった語りが少ない。


様々な人のエッセイを読んでいく中で、「働きたくない」という気持ちは、ライスワークに向けられるものなのかな、と思ったし、実際この寄稿者の中にはそのような気持ちを抱えている人も見える。ライスワークとライフワークが重なっている人もいて、その人のエッセイを読んでいる時は心底羨ましい気持ちになったし、流れ流れてカフェの店主をやっている人の文章には純粋に勇気をもらえた。この文章が最後に置かれていることであっけらかんとした読後感になったと思う。

全てのエッセイが素晴らしいのだけど、特にYouTuberの文章が文学を感じて好きだった。

如何に多くのユーザに再生を促し、如何に(中略)、それを如何に効率よく且つ大量に生産するか、といったことについて多くの人が取り組んでいる。
そして私は、そういったことすべてにまったく興味がない。

(p34)

なんというか、歴史の中で競争に組み込まれてしまった人の切実な吐露である。そしてそこからの動画を作ることができなくなったという告白への流れには痺れた。

趣味と飯の種のための仕事を境界なくできることに居心地の良さを感じる人もいれば、そうではない人もいる。
いや、そういう話でもないか。そもそもライスワークとライフワークを重ねるつもりもなかったし、目的が違ってたし、重なるものでもなかったけど、なんかもっと大いなるものに巻き込まれてしまったんだな…。そしてそのライフワークができなくなってしまった。



人生って長くてさ(急に人生の話)、学校って3から4年でひとまず区切るじゃん。だからその間なんとなくやり過ごせばOK感すらあるんだけど、社会に出たらもっと長いスパンを自分で乗りこなしていかないといけない。やり過ごしているだけじゃあまりに退屈だ。

だから、働くということに対する工夫をもっとしていきたいという気持ちがある。
その気持ちは「働きたくない」というネガティブな気持ちを拒否せず、否定せず、受け入れたからこそ出てきたものなんだろう。
「働きたくない」と思うことは漠然と良くないことだと私は思っていた。
でもこのZINEを読んでからは、その気持ちも大切にしていいのだと思えている。