アイスクリームと獅子

アイスクリームと獅子

lionなのはわかっているよ

疲れたなら寝ろと思うが寝れないので文を書いた

疲れた。疲れたのでベッドの上ではてなブログのアプリで文字を打つ。最近はnotionを使っているので、パソコンから文章を打っていた。部屋が寒い。机に向かってパソコンを触っていると足と手の先がめちゃくちゃに冷たくなってしまう。冬は嫌いだ。鍋は好きだけど。
疲れたなと思うと、頭の中で小山田壮平が「なんだか疲れてしまったね参ってしまったね」と歌い出す。もうずっと何年もそんな感じだ。寝ろよ。疲れたなら寝ろや。
部屋探しをしているが、ネットで物件を探して気になる物件を問い合わせて、不動産からメールが来て予約を入れる流れが、リクナビで企業にエントリーするのと似ている。就活も部屋探しも縁だと思う。
家を出るにあたって、自分が持っているものが多すぎるなと思う。ミニマリストになりたい。でも捨てられないものばかりだ。主に本、どうすればいいのだろう。本当にお気に入りの必要なものだけで暮らせればいいという気持ちVSコンテンツは持ってることそれ自体が豊かさを作るという気持ち。どうだろう。せめぎあっている。しかしまあ捨ててもどうってことないようにも思う。でも将来書斎を持つ人間になる可能性は結構高いと思う。その時一つの部屋に、本を詰め込んで満たされる感覚があるって思う。もし今持っている本を捨てたら、その時きっと「捨てなければよかった」と思う気がする。気がする将来をとるか。でも今、まさに今の私は、捨てることによる豊かさを欲している。どうすればいいだろう。CDやDVDも同様。

好きなものを好きでい続けるためには、それだけの強さと、努力と、エネルギーが必要だと思う。周りの人間がいくら「その良さがわからない」とけなしたり馬鹿にしたりしようと、自分よりも好きだったり知識の多い人が目の前に現れようと、自分が好きなものを自分の形で好きでい続けること。それはとてつもなく難しいことのように私には思える。
私は、好きなものを好きすぎると、怖いと思ってしまう。好きなものを好きになりすぎると、お金をそれだけかけるし、時間もそれだけかけるだろう。でもそれがどこかで怖い。いつ好きじゃなくなるかわからないものに、お金と時間をかけて、いつか好きじゃなくなったときに、「どうしてこんなものにこんなにもお金を使ったのか」と思うのが怖い。時間や我を忘れて何かを好きになることは、とても素敵なことだと思うし、それができる人間を私は尊敬するし話を聞いてみたいと思う。でも私はそうなることが怖い。どうしてこんなに怖いのだろう。何かにのめり込むことは、周囲から浮くからだろうか?まだ私は周りの目を気にしているんだろうか?
その好きのエネルギーを、それだけに注ぎ込むのが怖いのだろうか?自分が好きなものに振り回される感覚?好きならそれはそれで幸せなんじゃないの。そうなんだよ。幸せなんだよ。知ってる。そう言えるくらい好きになったことがかつてあった。でもそれはいつか終わる。自分が好きな気持ちが終わるだけならいいかもしれない。その好きな対象それ自体が終わることだってあるのだ。バンドは急に解散するかもしれないし、著者は急に死ぬかもしれないし、アイドルは急に卒業するかもしれないし活動を休止するかもしれない。かもしれないじゃなくてそうなった。そうだった。私が好きなものはそうなったんだよ。

なんかものすごいネガティブ全開な記事を久しぶりに書いてしまった。
でも、ネガティブな気持ちとか疲れたとか嫌だとか嫌いとか、そういうことを言ってもいいんだと、そういうことを感じるのは当然なのだと、そろそろ義務教育で教えてもいいんじゃないですか?