アイスクリームと獅子

アイスクリームと獅子

lionなのはわかっているよ

共感の価値を下げていた

人から共感されたかったから、誰かの話を聞く時に出来るだけ共感するようにしていた。自分の思っていることの裾野を広げて、なんとなくわかれば「わかるよ」って言う。それ以外のコミュニケーションの取り方がわからないくらい、共感していた。
でもそれは心からの共感なんかじゃなかったから、人が私の話に共感してくれても一向に嬉しくなかった。どうせわかってなくてもわかるって言っているのだろうと、私がそうだから相手もそう、という危険な思考回路でもって。
共感しなければ嫌われると思っていた。「私はそうは思わない」という言葉が人を傷つけると思っていた。今でも少し思っている。なぜなら自分が傷ついていたからだ。でもこれは違うと思う。共感できることは素晴らしいことだ。でも、共感できないことを「そうなんだ」って認めて尊重することができなければ、共感の価値も上がっていかないんじゃないのか?
「それはよくわからないなあ」って素直に言ってくれる人から「その気持ちわかるよ」って言われる時の喜び。
少しずつ、特に仲の良い人と思ってる人に対しては、「私はそう思わない」「私はあなたとは違ってこう思う」と言ったことを伝えるようにしている。今は人とそもそも話していないのでできていない(くそー。練習できないじゃん!!!)。友達という立場を利用して練習台にしているわけだから、ありがとうの気持ちをより持っていたい。そしてこれをすることで私が共感してくれなくなったことに気付いて私を嫌いになったとしても、それで良いと思っている。もしそんなことがあるならば、相手は私のことを「共感してくれる道具」としてしか見てなかったということだからだ。嫌われたくない、からの脱却。

しかしこれをあまり仲の良くない人にできるかというとできない。そしてあまり仲のよくない人に対してはそもそもまったくもって共感できないことに対して「わかるー」と言っている。完全に大島凪。
コミュニケーションの取り方がいまいちわかっていない。全くの初対面であれば質問してそうなんだあと言っていれば良いから気楽だし楽しいのだが。

価値観の違う人間と尊重し合う、ということがどれだけ大変か。
相手を尊重しようとして「私はそうじゃない」って伝えることを、相手への否定と取る人は少なくないと思うし。私は特に人間と合うことなんて滅多にないから、どうやって言ったら良いかわからない。
コミュニケーション難しすぎ〜。
あちこちオードリーの若林さんみたいに「ヘェ〜そうなんっすね〜」って感情を乗せて話してみたら良いと思うわ。そうします。ジャッジせず、共感もせず、受け止める。それを冷たいと思う人もいるかもしれないが、嘘の「わかるー」よりはいいんじゃないか。
聞き上手になる、というのはやはりコミュニケーションの基礎かもしれない。まあ聞きすぎて壁にされたらたまったもんじゃねえんだけどな。