アイスクリームと獅子

アイスクリームと獅子

lionなのはわかっているよ

ここ最近の話

オードリーの若林さんは、ダ・ヴィンチでの連載エッセイの最終回でこんなことを書いていた。

人間は内ではなく外に向かって生きた方が良いということを全身で理解できた。教訓めいたことでもなくて、内(自意識)ではなく外に大事なものを作った方が人生はイージーだということだ。

若林正恭『ナナメの夕暮れ』p143より引用

最近敬愛している田中泰延氏はこんなことを言っていた。

つまらない人間とはなにか。それは自分の内面を語る人である。少しでもおもしろく感じる人というのは、その人の外部にあることを語っているのである。

田中泰延『読みたいことを、書けばいい。』p142

最近は気分が良い。
自分のツイートを遡っていたら、自分の外部のことばかり呟いていた。
自分のことを語っても、自分も辛いし、人からもつまらない人間だと思われる。何もいいことがない。



閑話休題

・「あいつやっぱすげえ」
アンタッチャブルが復活してから、テレビでよく2人揃う姿を見るようになった。アンタッチャブルとその名の上に冠しながら、アンタッチャブルが2人揃うことはなかったこの10年間。2人が揃っているのを見るだけで感極まってしまう。もしや実力者は一度共演するのをやめた方がいいんじゃないかとすら思えてくる。そういえば南海キャンディーズも、久しぶりに2人で漫才を披露したときにはとても感動した。

ゴッドタンの「お笑いを存分に語れるバー3」でアンタッチャブルの話題が出たときの、飯塚さんとおぎやはぎのやりとりが忘れられない。*1
飯塚さん、もうアンタッチャブルのことが好きすぎて、夜会で2人が出て来たとき、「2人だ〜」と言いながら手をほおに当てていた。文字化したら絶対語尾にハートマークがついていたと思う。アイドルか。

そして何よりあちこちオードリー。
伊集院光×柴田英嗣×オードリー、夢かよ。ドリームエンタメかよ。
伊集院さんに、ザキヤマをみんなが乗りこなしていることに対して嫉妬はないか?と問われ、「俺の方が面白くする」と言い切った柴田さん、正直…今も書いていてぐっとくるものがある。ライバルはいないのかと若林さんに問い詰められ、「それ最強宣言だから!」「ひどいネットニュースになれ!」と詰められた後だから、よりその言葉が力強く聞こえた。
そして、ゴッドタンで飯塚さんが言われた言葉が佐久間さんを経由してここで柴田さんに届くという、佐久間さんの存在が完全に見える演出に笑ってしまったのも束の間。柴田さんの「泣いちゃいそう〜」でウルウル来てしまった。来週も楽しみです。

こうしてアンタッチャブルにお熱になった私はもう一度あの日の脱力タイムズを見る。ただただ笑える。
もっとアンタッチャブルの漫才が見たいよね。



小山田壮平は天才だよね
SpotifyPodcastで、andymoriが話題になっていた。


andymoriが解散してから彼らの音楽を知った。高校生の頃ずっとandymoriを聞いていた。andymoriの言葉に打ちのめされると同時に、andymoriが解散しているという事実に打ちのめされた。

本当に人類がみんな幸福になってほしいという思いがあまりに強すぎて、人類全員信じられないっていう気持ち、との行ったり来たり、が両方見える。

何もかも信用できなくなるような日ってあるじゃないですか。そこにぐさっと刺さってくる曲が書ける人だし、そうじゃない時は、自分のことよりも世界中の人たちが幸せになればいいなみたいな思い、を思っちゃう時あるじゃないですか。馬鹿だなって思うから、社会的に人と仕事をする時にはおさえてますよ。でもどっかで思ってて、そこもすくい上げてくれるのが小山田壮平のソングライティング。その両方を肯定してくれるんですよ

そうなんだ、そうなんだよ…。それがandymoriなんだ。
小山田壮平が天才である、なんてもう擦れまくった情報で、今更確認するまでもない。なのにまた言ってしまう。違いない。小山田壮平は天才なのだ。そしてそう思うたびに、andymoriのライブをこの目で見ることは、後にも先にも一度も叶わないという事実に打ちひしがれる。
ナンバガエルレが復活したときのように、andymoriも復活する未来線があるのか、と一瞬思って打ち消した。それはない。それはないが、しかし、「andymori復活」の文字がTwitterのトレンド一位に躍り出るその未来を想像(妄想)し、その日は寝付くのに時間がかかった。


・「相席屋に行きたい」
スカートの澤部さんがトリプルファイヤーのライブの話をしていた。

1分くらいファンクっぽいセッションで始まって、吉田が歌い始めるんですよ「果たして俺は中学生の頃に思い描いていた大人になれただろうか」っていうんですよ。その次に「相席屋に行きたい!」つって。
その対比で「相席屋に行きたい」って言った瞬間客席がぱんって沸いたんですよ。沸くのが、面白いから沸いてるってのもあるし、アフロファンクとの相乗効果で訳わかんなくなってて、すっごい気持ちよかったんですよ。
(その言葉がきっかけだったんだ?)
そうそうそう、「ぶち上がっていいんだ!」みたいな感じになって。ここ最近見たライブの中で一番格別でしたね。

相席屋に行きたい、放たれた新曲に、あの日いた観客は絶対に何かを思った。
あの日あのnestで起こったあの瞬間の出来事は一体なんだったのだろう。
あの歌詞がなければフロアはあそこまで沸かないのではないのか。「お前の心の底から生まれてくるお前だけのリズムで踊れ それがお前のダンスそれだけがお前のダンス」という彼らの音楽が響く私たちは、吉田の「相席屋に行きたい」という言葉によって踊らされる。踊る環境はできている。踊れる音楽は用意されている。それでも私たちが踊るには、吉田の言葉が必要なのだろう。


それはそうと昨日からトリプルファイヤーの鳥居さんが日記をnoteで始めた。


私は鳥居さんの文章が好きで、単純にそれだけなんだけど、嬉しい。
吉田は散歩の達人で連載していて、ここでも吉田の言葉に愛されてる感は凄まじいのだが、文の書き方が本当に手堅い。経験がぶっ飛んでいるから、文体の手堅さでよりその経験が強調されるのだけれど、私はこれを読んで「ずるいな」と小さな心で思ってしまう。


・『ほしとんで』
最近LINE漫画で漫画を読んでいる。その中で『ほしとんで』という漫画が凄く良い。俳句ゼミに入って俳句を学ぶ大学生たちの物語なのだけど、俳句の面白さがよく伝わってくる。
薺さんというキャラクターが、自身の作品を酷評されて「隕石落ちてくるなら今だが?」と言う。凹み方の癖がすごい。評の大切さなど、短歌に通じるものがある。

俳句いいな脳で、たまたまついていたプレバトの俳句勝負を見てたのだけど、俳句やりたい気持ちが強くなって来た。短歌は57577とはいえど異常なまでに自由だ。俳句の方が季語があったり切れ字があったり制約がより強い。季語の知識や蓄積されて来た読みの知識がダイレクトに創作に活かせる。短歌より面白そう…。ただ現代俳句はまた違うのかな?なんてことも思う。むろん短歌は短歌で楽しくなって来たところだから続けるけれど、俳句も今度句会に行ってみようと思っている。


漢詩
漢詩をちょこちょこ読んでいるのだけど、先生から李賀という詩人をお勧めされた。調べてみたら27で死んでいた。

人生27で死ねるならロックンロールは僕を救った

ヨルシカ/八月、某、月明かり

なんて歌詞があって、私の精神性はこの歌詞に似ている。偉大なロッカーはことごとく27で死ぬ。天才は27で死ぬ。偉大な詩人も27で死ぬのか、となんともいえない気分になった。
李賀の話をもう少しすると、李白杜甫に一つ時代を遅れて活躍した詩人で、なんだか他の漢詩とは、詩情の種類が違っていた(ように感じた)。それこそ現代詩のようなポエジーで、塚本邦雄が敬愛していたという情報にやけに納得した。

*1:関係ないが、その翌週の4でかが屋バナナマンの「怖い話」を説明した時の真似がうますぎてうますぎた