アイスクリームと獅子

アイスクリームと獅子

lionなのはわかっているよ

Step

気が合う人が少ないのは、私自身のせいではなくて世界のせいだと思っている。
世の中はあんまり考えない人で溢れているから。

私が考える性格なことも、それが少数派であることも、自分の努力でどうにかなった話ではないし、むしろ多数派の人間の無努力によって成り立っちゃってるとさえ言えると思う。

でも、よく考えてみると実は私は、むしろ気が合う人が多い側の人間なのではないか?と思ったりもする。

だってそうじゃない?
対話ができる人とか、定期的に卒業しても会える人とかってこんなにいるんだろうか。

恵まれてる。
感謝だ。
なんなら私に恋人ができないのはこのせいなのでは?というくらい恵まれてしまっている。

もしかしてそれは、私が人間関係を努力して継続できていることの証になるのではないだろうか。
自分は人間関係がとても下手だと思っていたけど、それは過小評価なのではないか。
だってLINE一本入れれば、多分私とみんな遊んでくれるだろうから。

っていうね。


私は気の合う人が少ないのではなくて単純に友達が少ないタイプの人間なだけだな。
気の合う人としか遊べないんだろうね、要は。
友達が多い人を見て、すごく楽しそうだなって羨ましくなっていただけなんだろう。
隣の芝生は青い。



だけど。
さらに逆接を重ねる。


たしかに大学三年にもなって、本当に高校の時の友達としょっちゅう遊びに行ってるなんて思いもしなかった。
でもこれがこれから先も続くか?ということを考える。


こんな言い方したらどうかと思うけど、私が高校の時の友達と会えるのは、お互いが大学で気の合う友達に会えなかったからっていう理由が1つあるんだろう。

社会人になって気の合う人に会えるかは知らないけど、でも、きっと休日も今以上に合わなくなったりしていくだろう。


高校の時、会う理由を作らないと会えなくなるのが悲しかった。
違う。ヌルすぎる。
会えない理由が増えていくのだ。


タイミングの問題だ。


もちろん、努力をすればきっと会える確率は上がるだろう。
でもそれは双方向の努力が不可欠で、私だけがしていても意味はない。
そしてその努力などというものをしなくなっても、私は相手を責める権利はない。
権利とかそういう概念の世界でもない。
そういうものだと諦めるしかない。
なんなら私が努力をいつ放棄するかさえわからない。
全てはタイミングなのだ。



仕方ないことだと思う。
仕方ないことなんかひとつもないのに。


そんなことを思っていたから、羊文学のStepを聴いて泣いてしまった。

いろんなことを仕方ないからと
笑ってゆけるようになった

君はさよならも
言わずに行くだろう

きっともう2度と会うこともないけど
仕方ないよねと笑ってゆけるようになるだろう

あまりに私の心情に添い過ぎているぞ。

Hitsujibungaku "Step"(Official Music Video) - YouTube