アイスクリームと獅子

アイスクリームと獅子

lionなのはわかっているよ

君の名は。はハッピーエンドなのか

最初に観たときから三年が経ったが、なぜかその時から年月が経つほど、この映画を観る時のしんどさが増している。
この間久しぶりに観たとき、私はもうずっとしんどくてしんどくて、仕方なかった。
観るのに体力が必要なのだ。

夢灯篭が一番しんどい。なぜだろう。夢灯篭の最初の、イントロなのか効果音なのかわからないくらいのキラキラしたあの音の瞬間が一番しんどい。なぜだ。

試しにグーグルで「君の名は。 しんどい」と検索してみても全くほしい情報はヒットしない。くそ、なぜだ。

なぜこんなにしんどいのだろう。その理由がわからないことがまた君の名は。を何度も観たいと思わせる。
私はもう新海誠にハマってしまっている。


それから少し経って、一つ思ったことがあった。
君の名は。を観る時に起こるしんどさは、こんなに綺麗なものがあってたまるか、という気持ちと、綺麗なものをこれでもかと望んでしまう切実な気持ちのぶつかりあいだ、と。

三葉と瀧は町を救ったあと、数年経って再会する。
彼らは時空を超えて出会う。美しすぎる。新海誠の風景美と相まって、美しさは何倍にも膨れ上がる。
運命の相手とか、愛とか、そういうものは一般に、美しく描かれるし、君の名は。でもそれは例外ではなかった。
美しいものに惹かれてしまうと同時に、こんなに美しいものがあっていいものか、と思う。




美しい、といえば、君の名は。の冒頭、彗星が落ちてくるシーンを思い出さずにはいられない。

あの日、星が降った日
それは、まるで夢の景色のように
ただひたすらに美しい眺めだった

物語が進行して、再び彗星が落ちるシーンにたどり着くと、ニュースキャスターは、「こんな光景を見られる私たちは幸福だ」と言う。
実際、このシーンは新海誠の映像美これでもか、というほどの美しさである。
どこかで「風景が殴ってくる」という表現がされていたが、言い得て妙だと思った。
暴力的に美しいその彗星は、三葉が住む町を壊滅させた。
それでもやっぱり私は、君の名は。を観るたびにあのシーンを美しいと思ってしまう。
この彗星が三葉の町を、人の命を奪うことを知っているにもかかわらず。



彗星が町を奪ったように、二人の再会にも代償はあった。
大勢の君の名は。を観た人間が、これはハッピーエンドだ、と、秒速5センチメートルを引き合いに出して言った。
しかし、本当にそうなのだろうか?
私はこのエンドを、手放しでハッピーエンドだとはどうしても思えない。

観てる側からすれば、二人は再会している。しかし、あの二人的には、何年もあった「ずっと誰かを探している」感が解消されただけで、再会したという意識はない。
なぜこの人なのかもわからないし、あの奇跡の「瀧くんがいる……」も忘れているわけだ。


人は忘れる生き物だ。
どれほど強く印象に残っている記憶も風化する。思い出は美化される。
あの映画では、モノローグでそれがしつこく表される。さっきまで覚えていたはずのあの人の名前が思い出せない。忘れたくない人、忘れちゃダメな人、そう強く強く思っていても忘れてしまう。

瀧は三葉の手のひらに「すきだ」と書くが、お互いがお互いを忘れてしまうのを知った上で観ると、このシーンも本当にしんどい気持ちしかない。


三葉はそのメッセージを見たときに、「これじゃあ名前、わかんないよ……」と震える声で言い、そのあとまた力強く走り出す。
彼らはお互いのことを忘れて行きながら、お互いを強く強く思い、そして進んでゆく。

そしてそのあとの5年、8年間を、「ずっと誰かを探している」という気持ちを抱きながら、東京で暮らす。


私はこの物語を、運命の相手に出会えてハッピー、といったエンタメ青春ストーリーとしては観られない。
前に進んで行くことは、大事なものを忘れてゆくことだ。そしてこれが、この映画をみてしんどくなる理由である。