アイスクリームと獅子

アイスクリームと獅子

lionなのはわかっているよ

小説とエッセイと

堪らなくなって本を閉じた。
さっき飲んだタピオカ冬瓜茶の甘みがまだ口の中に残っている。まるで口の中で角砂糖がタワーになっているみたいだ。
今、閉じた本くらいの甘ったれた比喩や表現なら私にだって十分できた。
だけど私には小説を終わらせる力がなかった、ただそれだけだった。
やっぱり、暇が私を憂鬱にさせるのか、と再度自問する。
昨日まではやることがあって、目の前にあるやるべきことをこなしていればそれで一日が勝手に終わった。漢字練習帳に漢字をひたすら書いて、気づけば夜になっていて、ご飯を食べて、風呂に入り、寝る。その繰り返しのような一週間を過ごしたが、それは不思議と悪くはなかった。
休日に何もすることがない、という大人たちの悩みが何だかわかるような気がした。休日は一日中寝ているだけだ、とか、そういうことを言っては、周りの人から「そんなんじゃダメだよ」と言われている大人。
不意に、梶井基次郎の『檸檬』の冒頭を思い出す。得体の知れない不吉な塊が私の心を始終抑えつけていたーー。まさに今の私の気持ちのような文だ。
檸檬』の凄いところは、特にドラマティックな展開が起こるわけでもなく、物語が終わるところだ。
物語には主人公の成長が不可欠だと思っていた私には、それは新鮮に映った。
檸檬』の主人公は成長しない。ただただ檸檬を爆発させる想像をして少し気持ちが楽になっているだけだ。
しかし私は今思う。
この物語でさえ、気持ちが楽にならないとオチがつかないのだと。この物語も、主人公の気持ちが少し楽になるという変化があって終わっているのだと。
私はスマホを取り出して、今の一連の思考を言語化してみた。










そして今それが終わった。
果たしてこれは小説だろうか、エッセイだろうか。
私はこの記事を、小説を書くような気持ちで書いていた。しかしここに書いてある思考の流れは全て、私が実際にしたものである。
どこにその境界線があるのだろう。