アイスクリームと獅子

アイスクリームと獅子

lionなのはわかっているよ

余裕と憂鬱

教育実習の半分が終わった。

憂鬱になることが激減している。


常に目的意識を持ちながら、行動することが好きだ。
ちゃんとやることが楽しい。
ちゃんとやれないとつまらない。

でもそれも毎日続けば飽きてしまうのだろうか?
一年生の時は文学も楽しかったように。


いや、それは違うだろう。
文学がつまらないのは、授業が同じことの繰り返しだからだ。
その証拠に、同じだけ続けている歌会はつまらなくない。
授業に期待できないなら、自分でやることを見つけるべきだ。


じゃあ、目的意識をもってちゃんとやっていれば、私は憂鬱にならないのだろうか?
それもなんだか違うような気もする。


教育実習は初めてやることばかりだ。
授業をすることも、50分間分のパワポを作ることも、そもそも海外に来ることも、初めてだ。
授業は自分としては満足のいくものができた。
自分は人前で、用意してきたことをすることが得意かもしれないと思った。

そういう、初めての原体験が、私を憂鬱から遠ざけているのではないか。


教育実習をすると原体験が手に入る。


じゃあ、私を憂鬱にする文学はどうか。

文学を学べば、人生は間違いなく豊かになる。
映画や小説を読んだ時に、これは古典のアレに似ている、と想像が膨らんでゆく経験はすでに何度もしている。




そもそも、私を憂鬱にしているのは本当に文学なのか。
同じことを何度も繰り返す学校の授業ではないのか。


短絡的な、思慮の浅い思考力で、憂鬱という楽な方向へ思考をシフトする癖がついてしまっている。


思考力がほしい。


境界線にいる。


思考力なんかなくても簡単に生きられる人たちを見ていると、私は思考力がある方だと思うが、自分がいざ思考を働かせてみると、すぐに破綻することに気づく。


いちいちこうして、普通の人が考えないでも済むようなことでつまづいている。

自分の好きなこととかやりたいこととかをやる前に、やらなくてはいけないことばかりに神経を使っては、面倒な文学を嫌っている。

しかし、文学が嫌いな人間が、天気の子をみてこれは古事記のアレだと思う、とか考えないのだ。

私は私の中の矛盾に気づいている。
ただ、矛盾していると思っているのは今の自分だけで、私にもっと思考力があれば、矛盾なんかしていないと感じるのかもしれない。


要は余裕がない。
目の前のことで精一杯で、文学、という、楽しむには難しく時間のかかるものに対して自分のエネルギーを使うほどの余裕が。


そういえば2年の時とった授業で、先生が「宿題は出さない。文学は余裕がないとうまく読めないから」と言っていたな。


ずっと未来に、もっと文学の知識が欲しいなと勝手に思う私が見える。
あの時にしかできなかったからやればよかったのにと後悔しているのだ。
しかしそれは違っている。
私は目の前のことで精一杯なんだよ。自分から古典文学を読もうって思えるほどの余裕がないんだ。