アイスクリームと獅子

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lionなのはわかっているよ

天気の子 感想

ネタバレ注意。


映画館で天気の子の予告編を観たときに、あまりの美しさに涙が出てきた。
天気の子、めちゃめちゃハードルあがっちゃってるじゃんと思っていたけれど、個人的には君の名は。より好き。
1200円じゃ安すぎませんか、と思った映画は初めてだった。

登場人物が愛によって色々なものを乗り越えていく物語でした。

「愛にできることはまだあるかい」という歌詞の凄さは半端じゃなくて、野田洋次郎その人がインタビューでも言っているのだけど、

《愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした》という歌詞は、自分が音楽をやる上でのひとつのテーマな気がしてて。これだけ愛の歌があって、愛の映画があって……でも、何度作っても、もうやり尽くしたって思っても、僕らも、きっと新海さんも、結局、今も作り続けてて

【本人の言葉で紐解く】RADWIMPS×新海誠の対談が教えてくれる『天気の子』の音楽の奇跡の秘密 (2019/07/24) 邦楽ニュース|音楽情報サイトrockinon.com(ロッキング・オン ドットコム)

基本的に物語って愛と死がテーマだし、私も創作するときはやっぱりそうなっていくし、その安易さみたいなものを考えることは多い。だけどそこにきて「愛にできることはまだあるかい」って歌われてしまうと、もう、これはさあ、「ある」ってことになってくるんだろうな、と思ったし、実際この映画は愛の話としても上質だなと。

そんなことを色々と考えていたりしたのだけど、愛の話だと終わらせるだけではつまらなすぎていろんな見方があるなと、それが魅力だな、と思った。
そんなわけで思ったことを順番に書いていこう。


以下ネタバレ。





乗り越えていく物語

天気の子、に付いている副題は、weathering with you、共に乗り越えてゆく。
まさにこの副題の通り、この物語は乗り越えてゆく物語だった。

主人公の帆高は田舎から東京へ一人家出をして、東京の怖さ汚さを感じながらも、船で出会った須賀に拾われ、日々を乗り越えてゆく。
陽菜が仕事を失ったときも、お天気ビジネスを立ち上げ、生活をしてゆく。
陽菜と凪の住むアパートから逃げ出すときも、帆高は「一緒に逃げよう!」と言う。この時の凪くんのスマイルを見よ。

そしてなんといっても、クライマックスであろう。
「あそこから彼岸へ行ける!」という美しく響くセリフを放って、帆高は彼岸にいる陽菜を助けに行く。そこに立ちふさがる、須賀、そして警官たち。
帆高は大人たちを前に、拳銃を発砲する。
「ただあの人に会いたいんだ!!」と、そのためだけに走る。


陽菜に会いたい、と叫んで走る原動力は、主題歌が指し示す通り愛だ。愛と言うと、すぐに連想されるのは男女の間の恋愛だが、愛と恋愛とは全く別のものだと私は思っている。

帆高は陽菜への自分の想いだけで、廃墟の階段を登っていくわけではない。凪の姉に対する兄弟愛、そして何より、須賀の明日花に対する愛によって、社会の象徴である警官たちを、壊れゆく階段を、そしてその先の鳥居を乗り越えるのだ。


その強い強い切実な思いの強さがマックスになったところに、野田洋次郎の「愛にできることはまだあるかい」という渾身の言葉がメロディに乗ってかぶさってくる。
もう泣くしかない。音楽の力がズルすぎる。



陽菜を助けたことによって、東京は水没した。
それを自分のせいだと思い、帆高は罪悪感を持っている。しかし、帆高が出会う大人は皆、「お前のせいではない」ということをそれぞれ伝える。
帆高もその言葉に説得されるように陽菜に会いに行くが、空に向かって祈る陽菜を見た瞬間に、「違う!」とエクスキューズを否定する。
そして自分がやってしまった行動を、積極的な肯定でもって認めるのだ。
この異常な、狂ってしまった東京で、陽菜と共に生きていくことの肯定。

雨の降り続ける東京は、地下鉄の代わりに船が通り、「次は、浜松町」というアナウンスが流れた。私はこの、最後の数秒のシーンが全てなのではないか、という気すらしている。
陽菜と帆高が共に彼らの人生の苦難を乗り越えてゆくように、東京もまた、水没という災害を乗り越えてゆくことがこの数秒のシーンでわかる。

第二の主人公須賀

果たして、乗り越えてゆくのは帆高だけなのだろうか、とここで私は、須賀について語りたい。
私が映画を観終えたときに一番強く思ったのが、「須賀がやばい」であった。この物語の中で、もしかして一番変化したのは須賀なんじゃなかろうかと私は思う。

須賀は、帆高と同じく若い頃に家出で上京し、明日花と結婚し、父になり、事故で明日花を亡くす。しかも、詳しく理由は描かれないが、娘の萌花の親権が取れていない状態。
そんな中で、オカルト系の記事を書く会社を、姪の夏美と経営している。

須賀に関しては、帆高ほど詳しく説明されないし、帆高みたいにモノローグで自分の感情を言葉にすることもない。しかし、それでも、須賀の登場シーンを見るたびに、須賀が生きている世界がとてつもなくビターであることがひしひしと伝わってくる。
もしここに、モノローグやらなんやらが加わったら、もう私は須賀のしんどさに参ってしまうだろう。

須賀は帆高に対して、「自分に似てるからほっとけなかったんじゃないの?」と夏美から言われる。しかし、須賀の家に警察が来た日、帆高に退職金5万を手渡して、「実家に帰れ」「大人になれ」と言う。

でも、大人ってこうだよなって、私は思う。
須賀は罪悪感から、タバコと酒に浸り、夏美に責められる。

「人間歳をとるとさ、大事なものの順番を入れ替えられなくなるんだよ」

大人ってそういうもんだろうなって。きっと大人はみんな、大人になりたくないと思いながら大人になって行くんだろうなって。
帆高からすれば、なんて残酷な仕打ちだろうと、絶望するくらいのひどいことを須賀はしてしまっている。
でも、そこにあるのは、「自分の生活をこれ以上揺らがせたくない」という、これもまた強い気持ちなのだ。

帆高は、まっすぐに陽菜を守ることだけを考えられる年だ。でも須賀は、まっすぐになるには大事なものを背負い過ぎていた。彼は罪悪感に浸りながらも、その気持ちを撤回せず、こう言う。

「人柱一人で狂った天気が直るなら、俺は大歓迎だけどね」と。



きっと須賀としては、帆高を追い出して、酒とタバコで罪悪感に浸って一夜を過ごしたら、数週間はその気持ちを引きずりながらも、そのうちに帆高のことを忘れてゆく展望だったと思う。

しかし刑事がまた須賀のもとを訪れ、帆高が逃げ出したということを聞く。そんなに会いたい人がいるんだという話を聞きながら、須賀は無意識に涙を流した。
愛する人との死別をまだ受け入れきれていないということは、バーカウンターで眠りながら「明日花……」とつぶやいたり、冷蔵庫に明日花のメモを残してあることから簡単に想像ができる。

須賀は帆高を警察に連れ戻そうとする。まだ間に合う、今から説明すれば、大丈夫だと。
その想いで、帆高の頬を張ることまでする。
「おちつけ!わかるだろ?!」と声を張り上げて、帆高を引き戻そうとする。それはおそらく、そんなに会いたい人がいる、という帆高に対する同情から出てきた行動だったのだろう。そんな帆高をほっておくことは、できなかった。

しかし、帆高は全く自分のいうことを聞かず、銃を向ける。おいおいまじかよ、となったところに警察が到着してしまい、おいおいまってくれよ、状態の須賀。

「お前らもおかしいだろ!ガキ一人にこんな、、」

と大人として帆高を守ろうとする須賀に対して、帆高はまっすぐに、

「どうしてみんな邪魔するんだ!俺はただあの人に会いたいんだ!」

と叫んだ。
須賀は、その叫びを聞いて表情を変える。

「お前らが、帆高に触れるんじゃねえ」

と言いながら、警官にタックルし、帆高を後押し、自分は逮捕される。

この須賀の変化は、もしかしたら唐突なものに映るかもしれない。でも、私はこの変化には強い説得力があったと感じた。
須賀の帆高に対する気持ちは、同情から共感へと変わったのだと思う。

ああ俺も、そうまでして会いたいと思った人がいた、いや、今でも俺は明日花に逢いたいーーと、自分に素直になることができずに苦しんでいたのだろう。
帆高の叫びによって気づいた。


須賀は、この一件で、大人として生きることを受け入れられない自分を認めることができたのだと思う。
受け入れられない時は、受け入れられないということを受け入れることができずに、こじらせる。受け入れているフリをする。だからいつまで経っても大人になれない。
いつまでも死んだ妻のことを考えているのは子供なのだ、と自分に言い聞かせていたのかもしれない。
妻に会いたいという本当の気持ちを、帆高によって覚醒させた須賀は、きっとこの時にようやく本当に大人になれない自分を受け入れたのだ。

そして三年後須賀の会社は大きくなった。「娘とこないだデートしたんだ」と言うなど生活に対する余裕を見せた。受け入れられないことを認めることで、逆説的にそれを受け入れることができる、というのは、私にも思い当たることがあって、須賀というキャラクターに強く思い入れを抱いてしまう。


主人公の帆高は、成長するさまというよりは、思いに向かってまっすぐ突き進んでゆくさまを描いているように見える。
むしろ、変化するのはその姿を見た須賀の方なんじゃないかと私は思った。だからこの物語は、須賀が第二の主人公なのだと思う。



まっすぐに突き進む帆高の切実さと、須賀の変化にのぼせて、私は映画館を出てしばらく呆然と歩いていたのだった。


続きます。