アイスクリームと獅子

ノーライフ、ノーエブリシン!

メディア

私の中には大量の、言葉にならない思考がある。


例えば、「言葉は伝わらない」という思考のカケラがあって、この主題自体はカギカッコに入っているように言語化されているのだけど、ここに付随している、(なぜそう思うか)といった根拠や、(どういう時にそう思うか)といった状態、のようなものは言語化されていず、いわば言語化されることが保留、されている。


カギカッコに入った主題、「言葉は伝わらない」を仮にAとすると、主題はこれ以外にBだのCだの無限にある。Aに付随する言語化されない思考をa1、a2…とするならば、aやbやcは、混沌の中に無秩序に漂っている。
Aのそばにaがあるとは限らなくて、Bのそばにaがあったり、Fのそばにaがあったりする。

本とか文章とか映画などの芸術や芸術じゃないものに触れた時、言語化されないでいた思考と思考がリンクし始める。それはa同士であるとは限らなくて、おそらくは違うもの同士がリンクすることの方が多い。
言うなれば「メディア」に触れた時に思考と思考が自分の考えとして確立する。そのときメディア-媒体はa1とc2などという組み合わせから言語を確立させる触媒になる。

だから、いろんなものに触れて行かねばならない。
芸術もそうでないものも、私の思考を確立させるための媒体に過ぎず、そして、私はその確立された思考を、今まさに書いているブログや、短歌などの「メディア」として還元してゆくのである。