アイスクリームと獅子

ノーライフ、ノーエブリシン!

それでいいのだ

オードリーとオールナイトニッポン死んでもやめんじゃねーぞ編を読んだ。

若林さんが、「いい意味で絶望している」というようなことを言っていた。
ナナメの夕暮れに書いてあったようなことだろう。
上ではなくてまっすぐ前を見る、ということ。


最近思っている、死にたさは真理、というようなことと似ているな、と思ったけど、やっぱりちょっと違うんだろうなとも思う。
結局、私がここに共感するにはあと20年くらいの時間が必要なのだろう。



私はまだ若すぎるくらいに若く、まだまだ上を見ることを諦めるのは早いんだろう(それを自分で言うな)。

まだまだ誰かに選ばれたいと思っちゃうし、まだ私は何かしら才能があると思っちゃうし、自分にしかできない何かがあると思っちゃう。
まだ今までの失敗とか帳消しにできるくらいの大どんでん返し、ニュー人生の幕開けがあるんじゃないのかとどこかで思っている。

でもそれがなんかずっと怖かった。
もしも、もしもそれが本当に違くて、ただの凡人で、ありきたりな人間で、世界の歯車に過ぎない存在であったら。
薄々それに気付いている端っこの自分に、恐怖を感じていた。
本気で頑張っても、うまくいかなかったら立ち直れないよ、という漠然とした莫大な不安。


だけど、「いい意味での絶望」だったら?
自分が何もできないことを知った時、本当に本当に自分がしたかったこと、理想の自分にはなれないこと、を悟った時。
それは悪くないどころか、自分を自由にしてくれることなんだよ、ということなんだろうな。
私は若林さんのその言葉を、こう受け取った。



だから、大人になって毎日同じような日々を送るような生活をしていたのだとしても、その自分に対して自己否定をしてしまうのではないかという不安が今はない。



だから今はただただ上を向いて自分のやりたいことをなりたい自分を目指してやってみたらいいじゃないか!
と思ったり。
でもやっぱりまだまだ自意識過剰に絡め取られて身動きが取れなくなったり、自分に自信がなくなってやってることをいまいち本気で打ち込めなかったりもうやめる!となったりしている。

それはそれでいいのかなと、甘えたようなことを言って学生生活を終えてゆくのだろうな、という気持ちでいる(それでいいんか)。