アイスクリームと獅子

ノーライフ、ノーエブリシン!

2018年

どうでしたか?今年の一年は。

という質問を日常生活でしようものなら、いや、芸能記者かよ!と突っ込まれればまだいい方で、おそらく「うわーぁだるい質問きたー」と思われること必至な訳なんだけど、芸能記者兼タレントである私は、2回目の物心がついたあたりから毎年、この質問を自分に問いかけて考えている。



この質問に答えるときは、まず今年の目標はなんだったかなっていうことを考え、それを達成したかっていうアウトラインに沿って話していく。もしくは芸能タレントよろしく今年の漢字を考える。



ちょっと今年はその流れを無視して、違う話をします。

まず大きいのが、お笑いが好きだってことに気づいたっていうこと。
厳密に言うと、今年になるちょっと前だとは思うんだけど、まぁ感覚としては今年。

もともと中学生の時からお笑いは好きだったんだけど、その時はこれほど好きではなかったというか、自分がお笑いを好きだっていう自覚がなかったというか、自覚する必要がなかった。
「〇〇が好き」っていうことが、そこまで私のアイデンティティとして重要じゃなかった。趣味もさしてなかったし。お笑いに限らず「これが好きです」っていうものがなかった。

それに気づいたのが高校の時。「自分は好きなものを持っていない!」ということが持つ異常性。
それに焦った私は、本当は自分の好きなものがあったのに、それを嫌いなフリをして、自分が全然好きじゃないものを好きだって思ってた。

だから、好きとか嫌いとか、自分が何をしたいかしたくないかとか、自分って一体なんなのかまったくもってわからなくなっていった。
自分が何に悲しみ、何に怒り、何に喜び、何に笑うのか、まっっったく、一ミリも!見当がつかなくなることが多くなって、夜中に泣いた。
なんて自分はダメな人間なんだろうと思って毎日早く死にたかったし、朝が来るのが怖かったし、夜寝るのが怖かった。
もう早くお前みたいな人間消えてしまえよって本気で本気で思ってた。


そんなわけで今年の目標は、「自分の生を否定しない」だった(どんなわけで?)。
もしこの目標を2年前の自分が聞いたら本当にびっくりすると思う。その頃の自分は自分の生を否定することしか能がなかったので。

この目標を立てたのは、去年の年末に見た村本の独演会と、星野源のエッセイ「蘇る変態」がかなり影響している。

別に本気で死にたかったわけじゃなかったんだよね。私はずっと私を好きだと思いたかった。
よく、自分で自分を苦しめてるよって家族や友人に言われて、確かにそうだなって思ってたし。

でも自分の好きなように生きるってどういうことなのか、自分を好きになるってどういうことなのか、わからなくなっていたから、そのアドバイス(?)をどう生かすべきなのかも分からなかった。
でも、夢を語る村本を見て、生きる覚悟をした星野源を見てたら、あっ、そんな難しいことじゃないかもしれないって思った。あけすけに表現をしている二人を見て、私も表現していれば生きることができるかもしれないって。

そんで、とりあえず、自分の生を否定しないことから始めよう、と思った。自分に自信を持って、自分を褒めまくることはできなくても、自分に死ねって言わないことくらいならできるんじゃないかって思った。


結論から言うと、この目標は達成された。


まさかこんなにうまく達成されるとは自分も思ってなかった。
私は村本や星野源のように強くもないし、壮平みたいに抜群な表現センスもない。

自分をネガティブなまま肯定するっていうのは、ただの逃げなんじゃないかと思った。
もしそうなら、ポジティブにならないと目標が達成できない。ポジティブになるってことは自分に自信を持つってことなんじゃないのか。そしたらこの目標はやっぱり達成できないんじゃないのか。

そうやってぐるぐる考えているときに出会ったのが、「社会人大学(以下略)」だった。以下は私の胸をぶち抜いた言葉だ。

ぼくたちはネガティブな性格のまま楽しく生きられるようにならないといけない

で、その後「表参道(以下略)」で泣いた話は以下略。

それでもまだ、ネガティブな自分とか、虚無感が自分を苦しめることの繰り返しに「死にたい」って思うこともままあった。

でもオードリーのオールナイトニッポン聴きながらどうにか生きて、武道館のチケット取れなかったらそれこそ死んでしまうかもしれない、と思いながら生きて、秋。
「ナナメの夕暮れ」を読んで吹っ切れた。それでもあんまり、「死にたい」って思わなくなった理由はよくわかんないんだけど、おそらく「ナナメの夕暮れ」のおかげだと思う。
人生に意味なんかないから生きるってことを信じるのも、この本に背中を押された。

世界を肯定したい、という気持ちはどこから湧き上がってくるのだろう。「ナナメの夕暮れ」の中にも書かれていたけれど、私も今心から思う。世界を肯定する短歌を詠みたい。



「ナナメの夕暮れ」のあと、星野源の「アイデア」を見て、何があっても生きていこうと思った。

東京03のネタを見て、もはや世界の肯定だと思った。ライブビューイングも行った。


きわめつけはトリプルファイヤーだ。

仕上げという感じだ。
ライブ超超楽しかった。あの夜は最高だった。彼らの音楽を楽しめる私を見て私は、ああ、もう、大丈夫だなって思った。
彼らのネガティブなだけじゃ終わらない世界を信じて笑うことができるなら、私はもうネガティブな自分を首肯できている。
吉田さんはきっと「死にたい」とは歌わないだろうって思っている。それを救いにしている。「アンディ死にたいと歌っていた」に救われていた私はもういない。



生きることに意味はない。
でも生きる。「でも」じゃない。「だから」生きる。
全てに意味はないっていうのは、全てに意味があるっていうことなんだよ。
多分、老子荘子が言いたいことはこれなんじゃないかな。自分がもっと大人になったときに、老荘思想を読み直して欲しい。
いろんなことが繋がっていく。
好きなものが、好きなものに繋がって、好きなものと、学問も繋がって、私は死ねないなって思う。



2018年。
平成が終わり、二十歳になった。
個人としては最高の年だった。本当に色々あった。
何よりも若林さんに感謝している。
若林さんの本に出会ってなかったら、本当に違う一年だったろう。だって、もしそうならオードリーのANNも聴いてないのだから。PS4も買ってないと思うし笑。
化粧することもさして億劫ではなくなった。
クリスマスやバレンタインに苛立たなくなった。
自分がやりたいことをやっていいのだ。まだ完璧にはできないけれど。


来年もいい年になるように頑張ろ〜。