アイスクリームと獅子

美しいものと美しくないもの

東京03のオシャレさを考えるPart2~「自己泥酔」を見て~

まぁ今回もタイトルから考える03オシャレ論なんだけれど。
オシャレってそもそもなんなんだろうみたいなとこあるよね。

お‐しゃれ【御洒落】
〘名〙 (形動)(「お」は接頭語)
①みなりや化粧などを、洗練された、気のきいたものにしようと心を配ること。また、その人や、そのさま。おめかし。おしゃらく。「おしゃれをする」 「おしゃれな人」
②物、場所などが洗練されて気がきいているさま。「おしゃれなかばん」 「おしゃれなレストラン」

(精選版「日本国語大辞典」より引用)

②の意味なのかな。物だし。洗練されて気が利いている。
……わかったようでわからない。

せん‐れん【洗練・洗煉・洗錬】
〘名〙
①物を洗い、または練ってよくすること。
②詩歌・文章などを推敲すいこうして、よりよいものにすること。
③修養をつんで、人柄や趣味・教養などをより高尚なものにすること。

(精選版「日本国語大辞典」より引用)

さらにわからなくなった。
これも②の意味かしら。

まあ私が考えているオシャレを言い換えると、「センスがいい」ということになるのかなぁ(辞書全無視)。
ただまあこの前引用したこれ、


これはまたセンスがいいとも違うよなぁ。自由な感じなのかな。気が利いてるのかな。
裸足になれるっていうのは何にも縛られていない感じがするから、変なものをつけてないって感じがする。それが洗練に繋がってるのはある。
自由とオシャレは似ているのかもしれない。
裸足になるっていうのは、なんかちょっと酔ってる感じがするんだけど、それをもしも本当にナチュラルに、なんの嫌味もない感じでやれたらオシャレというのがこのツイートの主旨だろうと思う。なんの嫌味もなく、さらっとやってのけてしまう感じがオシャレで、そんなふうに生きたいという。

あ、でもセンスはいいかもしれない。
普通雨で靴の中が不快になっても、脱ぐという選択肢は思い浮かばないわけで、それが思いついてしかも実行するというのは常人ではできないこと。普通と少し違うことがオシャレでセンスなのかもしれない。

はい。
オシャレ論はこの辺でやめよう。だいたいわかったかと思う。
今度見たのが、「自己泥酔」。これもまた、言葉遊び。今「不自然体」というのをやっているわけだけども。来年どんなのが来るのか楽しみになっちゃうよね。
元々の言葉は自己陶酔。飯塚さんが言うには、自己陶酔の人に迷惑かけるバージョンだと。すなわち角田さんだと(笑)。

一文字変えて、元々の意味を踏まえつつさらにパワーアップさせるって、思いつきそうで思いつかない。やっぱりセンスの話になってしまうな。
言語センスが良いんだな。で、それがしかもネタと合っている。
今回の単独のネタを一言で言うのなら、「自己泥酔」かなぁって言われて納得できる。実際はタイトルが先に出来上がるらしいからそこは逆ではあるのだけど。

話が少し飛躍するけど、笑われるってことは最強なんだよ。自分が惨めになったこととかを笑われるって割と救われる。
小学生の時、中庭でずっこけて膝から血が出て、それを一緒にいた友達がすごい笑ったことがあった。私はこんなとこで転んでしかも血が出て泣きそうなほどに痛いのに、「よくそんなに笑えるな」と思いつつ、自分もなんだかおかしくなって笑っていた。
これはこれで良いんだろうなと今は思う。その時はマジで「笑ってんじゃねぇよ」と思ってたけど、逆に笑い飛ばしてくれた方が、その場が持つし、ひとしきり笑って終了できるんだよね。


で、彼らのネタって結構そんな感じなんじゃないのかなって。自分たちの身の回りで起きたことからできている。「ステーキハウスにて」と「トヨモトのアレ」を出して説明する。

「ステーキハウスにて」
飯塚さんの体験談。飲み屋で人の悪口とはいかないまでも、実名バンバン出してこれがこうだとかああだとかって散々言い合って帰ろうとした時に「飯塚さんですよね?応援してます」と言われて「先に言ってよぉ〜」ということをネタにしたと。
もうコントになったらある意味虚構、フィクションになるわけだけど、元になってる種はその飯塚さんの体験談な訳。
だけど、ネタの中では、その役は角田さんになっている。そして飯塚さんは突っ込む側。まぁ彼らのネタにツッコミとボケという明確なあれはないんだけど。
自分のことをネタにして笑われる設定になっているのにもかかわらず、実際笑われるのは角田さんで、飯塚さんは笑わせる側。全体として3人で笑わせるコント。

「トヨモトのアレ」
完全に豊本さんが笑われているネタ。これは豊本さんが豊本さん役で豊本さんが浮気しているというネタ。まあそうしないと面白くならないもんね。
だけど、コントの構成としてはそれを羨ましがる角田さんが笑われる側。飯塚さんがツッコミ。


何が言いたいかと言うと、結局、自己陶酔、もとい自己泥酔する奴らのことを、「しらねぇよ!」と思いつつも、「実は自分もやっているよね?」「実は誰でもしらねぇよと思われる側になってるよね?」ということ。

一発目のネタ「自慢話の話」がわかりやすい。
自慢話をする人たちのことが嫌いだと言い、「俺がもしも自慢話してたら教えてね!」と言う上司に対して、「自慢話をしない俺の自慢をしていますよね?」という部下。それはおかしいと突っ込むその同期。はてさておかしいのか。という。「そういう複雑なやつはいいから」という同期。結局どんな人間も自己泥酔してるんですよ。という含ませがある。

笑いのネタにしているけど、「結局俺らもそうだしみんなもそうでしょ!?」という開き直り?
それって、もう自分たちの自己陶酔とか自意識とか僻みとか妬みとかそういうものをいっそ笑っちゃおう喜劇にしちゃおうっていうことでしょう。
私はそう取るんだよね、彼らのネタとか曲を見ていると。
それって、雨で不愉快になった靴を捨てて裸足で歩くことと繋がらない?繋がったわ~。
あ、わからない?
要はいつも彼らがネタにする自己陶酔、自意識、手のひら返し、妬み、嫉み、言えないこと、本音と建前、とかは、雨で濡れた不愉快な靴だよ。普通は脱がないし、普通はそのまま歩き続けて、「雨とか最悪だわ~」て言う。
でも、それを脱いで裸足で歩けば、足が濡れることは当たり前。足の裏がコンクリの凸凹に当たって痛いかもしれないけど、それを感じずに歩いて行けたらなんだか楽しくなってくる。
本来言ってはいけないことを言ってしまう、自己陶酔を通り越した自己泥酔で人に迷惑をかける。それは無論日常でやったらとんでもないことだけど、虚構の中ではできるんだよ。

それをね、なんかさらっとやってるんだよね彼らは。こういうことをネタにするのオシャレだろ?感がない。だって自分たちも実際の生活でやってるから。それをなんの嫌味もなく、「これネタにしたら笑えるんじゃないかな」という舞台を作り上げる。大げさな道具やシチュエーションは使わないで、自分たちの演技力と演出で魅せる。

以上です。
稚拙で駄文で恥ずかしい。
ライブビューイング楽しみだなあ。