アイスクリームと獅子

美しいものと美しくないもの

東京03のオシャレさを考える~「明日の風に吹かれないで」を見て~

※ライブの中身には全く触れてない。

東京03のライブタイトルが好きすぎる。
タイトルにドーンと打たれたのは、多分東京03のネタとの整合性?という面での説得力があったんだと思う。
あー、彼らのネタにはこういうタイトルをくっつけるのがオシャレでなんだかとってもいいなと。多分、こんなにオシャレなタイトルが、お笑いライブにくっつくという意外性を超えて、東京03にピターッ!とフィットしているような気がしたんですね。

……普通にさっきから「オシャレ」という言葉を使っているのだけど、そもそもこのタイトルはオシャレなのか?という疑問が湧く。
自分で言ってて「オシャレ」で合ってるのか自信がなくなる。
だいたい「東京03ってオシャレだよねー」と言って共感されるとは私自身も思っていない。

なぜ私はこれをオシャレだと思うんだろう。
オシャレなタイトルがフィットするということはネタもオシャレさを持っているということになるけど、彼らのネタのどこがオシャレなのだろう。そもそも東京03が並んでいるだけで漂う「オシャレおじさん」感は一体どこから生まれるのだろう?(共感はないけれど)

オードリーやNON STYLEを見ていても「オシャレだなぁ」とは全く思わない(けなしてません。大好きです)。
お洒落感があるほかの芸人は誰だろう?と思うと出てくるのはバナナマンの設楽さんとか。(これは共感してくれる人いるんじゃないか。適当だけど)
何故?これは。主観と言ったらそれまでですが。


さて、一番好きだーっと思ったのが、「時間に解決させないで」というタイトル。この言葉だけをとりあえず考えてみよう。
まあこの言葉を良い!と思うその良さなんて、わりとポピュラーなもので、わざわざ説明しなくても共有できるものなのかもしれないけど、私が言語化したいんで。

こういうのってよくある言葉遊び的なものだと言ったらそれまでなんですけど、言葉遊びを超えて出るエモがある。
エモという言葉選びはもはや逃げなんですが。
自由律俳句っぽさもあるんだよね。「咳をしても一人」が持ってるエモさと同じ種類のエモなんじゃないか。
だからオシャレ?自由律俳句がオシャレというのはなんだか暴論みたく聞こえるけど。

東京03のライブは三部作でできているらしい。ここで言うと「あるがままの君でいないで」「時間に解決させないで」「明日の風に吹かれないで」という三部作。
全部元になってる言葉がある。「あるがままの君でいて」「時間が解決するよ」「明日は明日の風が吹く」全部他者に対する励ましの言葉。

だいぶ前、トートバッグを探していたら、「tomorrow is another day」と書かれたものを見つけた。ご丁寧に商品の値段とともに意味が書かれていた、「明日は明日の風が吹く」と。
これを見て私は「明日は明日の風が吹く、かぁ〜(膝から崩れ落ちる)」と思った。「ださいなぁ」と。使い古され尽くした言葉じゃないかよぉ。

「明日の風に吹かれないで」はそれと逆のことを言ってるからオシャレ、なんて結論を出すためにこんな話をしたわけじゃないんだけど。
むしろそうやってすかしてることをオシャレだと思ってしまう私の方がダサいのでは説。
でもおじさんたちが「明日は明日の風が吹く!」っていうライブをやってたら、断然見に行く気なくしません?私はなくす。

落ち込んでいる人間に対して「時間が解決するよ」「明日は明日の風が吹くよ」だから「あるがままの君でいいよ」というのはもう、暴力ですよ。
そんなことわかってるんだよ。
時間が解決するのは知ってるけど、今苦しいのはどうすんの!明日は明日の風が吹くのはわかるけど、今日の失敗はどうなるの!今落ち込んでいる俺はどうなるの!ありのままの君でいて?ありのままの俺なんかてめえ知ってんのかこのやろう!本当の俺はこんなに卑屈でネガティブなんだよばかやろう!
ですね。彼らはこんなに過激じゃないけど。
こんな言葉、かけられてもかけられてないのと同じですから。だって知ってるし。何度も聞いてるしそんな言葉。

そこでこれらの言葉を否定しただけと言えばそれまでのライブタイトルたち。「ありのままの君でいないで」と言われることで逆に!このままでいいんじゃないかなと思えてくる不思議。
「時間に解決させないで」ってのは、今悩んでいる自分を肯定してくれている気がしてくる不思議。

みんなはどうだ。失恋したと言って、酒を飲みカラオケで間奏の時に「新しい恋見つけるぞー!」と叫び、3ヶ月後には本当に新しい恋を見つけたりしてるじゃないか!

(若林正恭「ナナメの夕暮れ」より引用)

これは「明日は明日の風が吹く」「時間が解決する」という励ましを素直に受け取ることができるポジティブ人間たちのやることで、逆に言えばポジティブ人間にしかできないことなんだよ。
私のようなネガティブは、明日の風に吹かれられないし、時間に解決させられない。ここにとどまっていたい。

だから!
これは励ましの言葉の逆説でもあれば、そんな言葉に励まされない側の、必死の願いなのかもしれない。
私はここにとどまっているのに、みんな明日の風に吹かれちゃうし時間に解決させてどんどん先へ行ってしまう。待ってよ!明日の風に吹かれないでよ!時間に解決させないで!……という。

なんだか滑稽さがあるんですよね。
例えば同じ時期に失恋した友達がいたとして、最初は一緒になって悲しいね辛いねって言い合っていたのに、友達は3日後にはけろっとして、自分はまだ苦しくて、「えっ、あの泣きあった日はどこへ?」と置いてけぼりくらわされることの、「ええええ待ってよ!」という圧倒的滑稽。
当人は滑稽じゃないですけど。でもこれを滑稽と捉えることのできる強さがオシャレ。
東京03のネタにありそうじゃんこれ……。


……やっぱ、こういうのをお洒落だと思う自分がひねくれてる説濃厚な気がしてきたわ。

でもやっぱり、彼らの根底にあるのは全肯定なんじゃないかなと思える。ただの皮肉とかすかしなのかもしれないけど。
でもそれにしてはスタイリッシュすぎるし。だってこの言葉遊びをお笑いライブにつけるって遊び心とスタイリッシュさがどっちもなきゃできないと思うよ。

続きます。