アイスクリームと獅子

美しいものが好きです

楽しまなくても楽しい

昔から、楽しそうにしている人を見るのが好きでした。
こっちまで楽しくなるから。
ああ、こんなに楽しそうにして生きてもいいんだ、人生って楽しいんだって思いたいじゃないですか。昔の自分がそこまで考えていたのかは謎だけど。
自分が馬鹿騒ぎする側にはいつも回れなかったことだけは確かだ。

思えば自分が好きなものは大抵が楽しそうにしている人たちだな。
芸人さんも星野源も嵐も。
中学のとき、掃除の時間に箒でけつを叩きあって怒りあって笑い合ってる男子たちを見るのが好きだった。
そういう感じがするんだよな。オードリーとか特に。

楽しくなけりゃ意味がないじゃないですか。
楽しさって絶対的だと思う。楽しめるやつが一番強い。楽しさを見つけられれば最強だ。
まあ、楽しめなくてもそれはそれで良いと今は思うけれど。無理やり楽しむ必要はこれっぽっちもない。
よく、「楽しいかどうかは自分次第」っていう言葉聞くけど、それ、半分は正解だけど半分は間違ってる。


高校の時の話。
行事のたびに女子たちはメイクをしたり花飾りつけたり花かんむりつけたりしてるのを、私はバカにしていた。
でもそれが当人たちにとって楽しいことはわかっている。
自分は花かんむりつけるキャラじゃないとか、なんで体育祭なのに髪飾りつけるんだよとかって思考が楽しむことを邪魔してくる。
昼休みに体育館でファッションショーが行われて、教室には男子数名しか残らなかったとき、いたたまれなくなって昇降口で一人弁当を食べた。
ファッションショーに行って黄色い声の中にいても楽しめるはずがなかった。
黄色い声を一緒にあげられるほど私は可愛い子たちと可愛い洋服に興味はなかった。
そんな自分がその場にいることの方が弁当を一人で食べるよりもいたたまれなくなるだろうなという判断だった。

自分のことを客観的に見てしまうから、楽しそうにしている自分=普段の自分とは違う自分=無理しているように見えてイタイという方程式が立ってすぐに冷める。
今思うと、スポーツなんかろくにしないんだから花かんむりくらいつけたって別に良かったんだよね。無理やり黄色い声を上げずとも、楽しみ方はあるんだよね。実際、最後のファッションショーでは泣きそうになった自分にびびった。

だけどそうやって客観視してしまうことを忘れさせてくれるほど楽しいことが世の中にあるから、「楽しめるかどうかは自分次第」なんて言葉はやっぱり半分は嘘だ。
いやいやいや!自分がどんなことを思っても、楽しいことが世の中にあるじゃん!私が言ってる「楽しくないなー」はそういう意味だから!
と言ってもまず伝わらない。

その点、楽しそうな人たちを見ているのは、自分を客観視する必要がないから良い。
勝手に楽しんでいるから、それを見てこちらも勝手に楽しい気分になる。