アイスクリームと獅子

美しいものと美しくないもの

昨日が一昨日になっていくこととか。

生きるのが嫌でたまらなくなる。

歯磨きが面倒だ。髪を乾かすのが面倒だ。
そういう人はいっぱいいると思う。
じゃあなんで、生きるのが面倒だと言った途端に重くなるの?



私が文を書く理由、憂鬱と怒りでどうしようもなくなった時、気を楽にするためだった。はじめは。

何も考えず、殴りつけるように書いて、書いて、書いて、書きまくる。

でも10年も経てば、文を書くこと自体が習慣になって、理由もだんだん変わってくる。



私は、私の気持ちを未来の私に残したくて文を書く。
未来の私が、今の自分がなぜ楽しいのか、何を思っていたのかを知れるように。
でも、過去の文を読んでいて、ちゃんと伝わったことなんて、ほとんどない。



最近は、文にしても気が楽にならない。
未来の自分に伝わらなければ意味がないから。
今の自分が納得できなきゃ意味がないから。
伝わらないし、納得できない。言葉にすればするほど、思ってることとズレていく。

表現なんて、自分が納得できるかどうかだと思う。
たまに人が私の文を好きだと言うけど、全然信じられない。

わかんないよ。
どうして世に出ているすべての表現者は、あんなに素直に言葉を使えるのだろう。


ああ、どうせこんなに苦しいのなら、生活苦でも売れないロックバンドのような人生の方が良かった。
自分の感じたことを昇華する術のない人間には、感受性なんて重荷なだけだ。


辛くて苦しくてたまらない。
どうして人間って、仕事するか死ぬかしかないんだろう。
他の動物みたいに、ただ生きて、生きるために飯を食って、子孫を残すだけの生物だったら良かったのに。


でも死ぬことなんてできないから、生きてくしかないのだ。
どうせ私は表現者にはなれないんだろうし、なんとか仕事して生きてくんだろう。

ああ、同じことを書いても、ポジティブに受け取るか、諦めと受け取るかってきっと読み手によって違うんだろうな。



誰も私を救ってくれないよ。
そりゃそうだよな。
自分のことわかるとしたら自分しかいないし、自分のこと救えるとしたら結局自分しかいないよ。



ああでも、こんなこと考えてるのは馬鹿馬鹿しいな。
どうせ明日起きたらもう気分は変わっているだろうのに。
10年前の失敗は今でも覚えてて、たまに恥ずかしくって叫びだしそうになるっていうのに。



ねぇわかる?10年後の私。
今の気持ち。
わかるわけないかぁ。