アイスクリームと獅子

美しいものと美しくないもの

檸檬

本を読めなかった時期がある。


自分が何を好きなのかわからなくなっていた。
本を読むことは何よりも大切だったはずなのに、読んでも読んでも、楽しくなるどころか不愉快になっていった。



高校三年の国語の授業で読んだ「檸檬」は、私が再び本を読めるようになる大きな立役者だと思う。





書き出しから衝撃的だった。

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。

「えたいの知れない不吉な塊」は「えたいの知れない不吉な塊」である。それ以上でもそれ以下でもない。
言い表せないから気持ちが悪く、不吉なのだ。それが、ずっと自分の心をおさえつけている。

憂鬱な気持ちは、理由がわからないからこそ憂鬱なのであって、なぜ気分が沈んでいるのかわかれば、それはもはや憂鬱ではない。ただの悩みだ。

どうしてこんなに苦しいのかわからないが、ただただ苦しいということだけはわかる状況。


なにをしててもそうだった。
本を読んでも、音楽を聴いても、誰かと話していても、ご飯を食べていても。

なぜこんなに苦しいのか?ということを考えていた。他の人はこういうとき、どうやって乗り越えているのだろうか?と。
考えても答えは出ないことは知っていたけど。


ギターを弾く時間は、考えることをやめられるので、ずっと弾いていた。
なにが楽しいとかそういうことではない。考えないために弾いていた。
ギターが弾けないときはツムツム。


そんな中読んだこの書き出しは、まさに私のようだった。



読み進めていくとすぐに、またも自分かと思う一節が見つかった。

以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。(中略)それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

あんなに好きだった本を読めない自分に重ねた。

こんな小説があるのか!

と、本を読めなかったその時期に、のめり込むようにして「檸檬」を読んだ。
授業の内容なんか半分も聞かずに、読書を楽しんでいた。


驚きはさらに読み進めることで増してゆく。
今まで自分の心を描写していた語り手は、変わって「みすぼらしくて美しいもの」を目の前に思い描くように語る。


廃頽しゆく街、花火、びいどろ、南京玉。


言葉だけ羅列するだけでも美しい物たち。


びいどろを飴玉のようになめ、「あのびいどろの味ほど幽かな涼しい味があるものか」と言う。
異常とも取れる行動を、こんなにも静かに綺麗に描けるのか、という衝撃。


私が一番心を惹かれたのは、果物屋の描写だった。

何か華やかな美しい音楽の快速調アッレグロの流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。

こんな比喩があっていいのか!
二度読んだ。
今読み返しても美しい文だ。

「何か」「的な」「あんな」「というふうに」という曖昧な単語が頻発するにもかかわらず、読者の脳裏にはこれが表す風景が鮮明に現れる。

……違う。
これは情景の比喩ではない。
果物が並んでいる様子は、「果物が並んでいる」といえば事足りる。

普通、それをもっと明確に読者に知らしめたいのなら、「果物が〇〇のように並んでいる」という表現をしがちだ。
つまり、目の前の情景をどう表現するか。

だけどこれは違う。「果物が並んでいる」という情景が、語り手にはどのように見えたのか、ということを伝えようとする比喩だ。
つまり、情景と比喩が同時にある。

こんな比喩があるのかと驚いた理由はここにあると思う。


それから語り手は檸檬の描写に移る。
檸檬は主人公の心を幸福にした。
ここの描写にも惹かれた。

 その重さこそ常つねづね尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思いあがった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――なにがさて私は幸福だったのだ。

檸檬の重さがしっくり来たのは、その重さが今までの全ての善いもの美しいものを換算した重さだからだ、と考える。
重さに換算させるという突飛な発想が、なぜか主人公が本当に思ったかのようなリアリティを生む。
不思議な文だと思った。

その幸福感のまま、調子に乗って主人公は丸善に入る。昔好きだったが、今の自分には耐え難い場所、丸善
しかし檸檬の効果も丸善にまでは効かなかった。みるみる憂鬱な気持ちに戻っていく主人公。

大好きだった画集を見てみるが楽しめず、何冊も何冊も引っ張り出しては積み上げる。
ごちゃごちゃしたその画集の積み上がった光景は、まるで憂鬱の象徴に思えたのではないだろうか。
ハッと気づいて主人公は、その頂点に檸檬を乗せる。
その描写の美しさよ。

 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。

その後、主人公はそれをそのままにして、檸檬が爆発して丸善を木っ端微塵にする様子を想像しながら、街の坂道を下っていき、話は終わる。




登場人物が主人公ただ一人だということから驚きだった。
貫かれる無人感。
丸善果物屋が出てくるのに、そこに人が居る気配がしない。

そして、主人公である語り手は、不吉な塊が原因で起こる、自分の異常とも言える状況を淡々と述べていく。
自分の好きなものや、自分が思っていること以外のものやことは描写しない。
ひたすら自分のことだけを語る。

静かなる狂気。
精神を病んでいる主人公は、奇怪な行動、突飛な妄想を繰り返す。
しかしそのどれもが、淡々と、静かに、どこか美しく語られる。



こんな小説があるのか。
なら、また本を読んでみようか。
いっそ、また小説を書いてみようか。




余談だが、ここまで私を衝撃させた本を、クラスメートは理解できないと言っていた。
ええっ、なんで?!とさらなる衝撃に私は絶望しかけた。
檸檬がなぜこうまで私を貫いたのかについては、ずっと説明したかったのだが、全然文をかけない時期だったのでこんなに遅くなってしまったけど、とりあえず書けてよかったと思う。