アイスクリームと獅子

美しいものと美しくないもの

第一夜と檸檬

文学史の授業で、夏目漱石の「夢十夜」第一夜を読んだ。

無論、文学史の授業だから、内容についてどうこうするわけではない。
先生が誰かに音読させるのを無視して、自分のペースで最後まで読んだ。

あまりの美しさに目を瞑った。
ワインを口の中で含んで味わうような感覚で。


先生が、これを高校の授業でやって、生徒に感想を書かせると、「よくわからない」といった感想を書く人も多いと言った。


ああ、この美しさがわからないのか…!



高三の時、授業で梶井基次郎の「檸檬」を読んだことを思い出した。
私はこの小説にほぼほぼ感銘を受けた。こんな小説があってよいのか、と思った。もう一度小説を書いてみたい、と思うほどに私を動かした。

しかし、周りの人は一様に「何が言いたいのかよくわからない」「意味不明」と言う。
私はそれに軽く絶望しかけた。

その頃の私は、自分の考えが周りとはズレていて、周りに自分の考えを共有できる人は存在しないのではないかと思っていた。それは確たるものではなくて、薄々そんな気がする、という程度だった。
でもそれがまさに証明されてしまったような気がしたのだ。
よく本を読む子でさえ言っていたことでさらにショックを受けた。これほどまで心を動かされた作品が、周りの人にはひとつも響かないのか…!と。
もし身近に「面白い」を共有できる友人がいなかったら、私の心はもっと荒んだかもしれない。





夢十夜」も「檸檬」も、状況描写を読んでいると、それがまるで目の前で起こっているかのように思える。緻密さが程よい。
檸檬がカーンと冴えかえるという表現が美しくなくて何が美しいか。
花が胸のあたりまでぐんぐん伸びてきてそれに接吻するという描写が美しくなくて何が美しいか。


確かに人物が何を思い何を伝えんとしているのかは明確に書かれてはいない。
でもそれの何がいけないか。
いいではないか。
むしろ細かく説明されないことがリアルではないか。



でも、何年も「登場人物の気持ちを読み取りましょう」なんてやってきたら、わからないと思うのも無理ないのかもしれない。



文学がもっと自由に読まれることを願う。