アイスクリームと獅子

美しいものと美しくないもの

dearly beloved

私はその夜、泣きたかったのだ。




未だに苦しいのは消えない、消せない。
戦争がなくならないように、いじめはなくならないように、苦しみは消えない。
日が沈んで登るように、終わらない。




テレビの中で起きている出来事は、どこかの誰かのリアルだけど、テレビの向こう側としか感じることができない。
おんなじようなことがありすぎて、悲しいニュースも悲しめない。
たとえリアルを感じることができても、それに対して何もすることはできない。
自分にとって、毎日のように乗る満員電車がリアル。
人身事故があっても、自分が遅刻しないことの方が重要。
人が目の前で交通事故に遭っても、さっき切った切り傷の方が痛い。


それが悪いって言いたいんじゃない。
そうじゃないんだけど……。


そんなことを考えては、夜中に落ち着かなくなって眠れない。疲れているときほど思考だけは動き回って、考えないようにとスマホを眺めて、さらに眠れない。







22時、ディズニーランドを出て行くときから、余韻と高揚感を引いてください。
そしたら何が残る?
そんな感じ。
いつまでもここにあってほしかったものが、時間の中で消えていくの。
自分じゃどうしようもできない。










このまえ、またこういう感覚に襲われた。
だけど、スマホをいじってもどうにもならないことをわかっていじるのが嫌で、ふと、ある曲を聴こう、と思った。

「dearly beloved」という曲。キングダムハーツの、スタート画面で流れる曲だ。歌詞はない。
私はこの曲を聴くたびに心を鷲掴みにされる。切なさとか寂しさとか、そういう稚拙な言い回しはよして、とにかく心が痛くなる。
だけど同時に、この曲を聴くと落ち着く。


だから、この曲を聴いて落ち着けるはずだって思った。実際、その夜に聴いて、それでざわついた心は落ち着いた。
そして、途中から私は泣いた。
心地よい涙だった。


高校生の時、何度も夜に泣いて、泣いて、なんの理由もなく、ただただ苦しくて泣いていた。理由がわからなくて混乱した。



私はその夜、泣きたかったのだ。
その曲は、私が泣くのを手伝ってくれたのだと思う。別に泣いても良いよって、その優しさを信じきってしまうことの安心感。


いろんなことを考えすぎて、ひとりぼっちのような気がして、永遠にあって欲しかったものをなくして、それが夜に集まって、勝手に苦しくなる。




今は、その逃げ道を肯定できる。
そんな夜がまた来たら、dearly belovedを聴こう。