アイスクリームと獅子

美しいものが好きです

米澤穂信「いまさら翼といわれても」

ようやく読んだ。古典部最新作。
若干のネタバレ。
「遠回りする雛」と同じように、短編が何作かまとまっている。
読んでいればすぐにわかるくらい、テーマははっきりしている。時の流れだ。


著者は「遠回りする雛」のあとがきで、小説の中で時間を進めることと和解できた、と書いていた。そして「ふたりの距離の概算」からは、彼らは二年生となる。小説の中なのだから、彼らはいつまでも一年生でも良かったけれど、二年生になってもらうことを選んだのだ。


そして、それに続く今作は、二年生になった彼らの過去と今、時の流れが描かれる。
省エネを捨てゆく折木。
漫研をやめ、夢を追いかける決心をする摩耶花。
勝ち負けにこだわらなくなり、本書では詳しく描かれないが変わっていく里志。
そして、もっとも変化を迫られるのがえるだろう。遠回りする雛の最後にえるの決意が描かれることに対比させるように、本書もえるの変化で終わる。

ここで描かれる四人四様の変化。それを人は成長と呼ぶのだろうか。



しかし、折木が省エネをモットーとするきっかけの話をすると、えるは、「お話の中の折木さんと、今の折木さん。そんなに変わっていないんじゃないか」と言う。
この、折木が省エネをモットーにするようになったのが小学校高学年、というのがとても興味深い。そしてどうしようもなくなって姉に話すことも。自身で「子供が拗ねて、拗ねてるうちに引っ込みがつかなくなっただけだ」と評することも。それほどに少年折木は悩んでいたということが見える。


私は自分を重ねてしまった。小学生という幼い時期に気づいてしまった嫌な発見は、尾を引く。変わらざるを得なくなるのだ。それ以外に方法がわからないから。そしてそれはしばらくの不変化ももたらす。
自分が変わり、そしてそれを引きずっていると自分では思っていても、誰かが見て同じ評価をするとは限らない。そこまでで描かれてきた折木の中学生時代の話と、これまでの古典部作品の全てで、折木は「やらなくてもいいことをやっている」。折木は、バカにされるのが嫌で変わらざるを得なかった。しかし、本当は不器用で優しくて誰かのために動いてしまう人物であるのだ。そしてそれは今作、特に丁寧に描かれた。
自分を守るためにやっていたことが、いつのまにかやめている。自分を縛っていたものから、少しずつ解放されて行く。高2になった折木が、まさにえるのために「やらなくてもいいことをやる」ように。


それを成長といってしまえば簡単だ。
ところがそんなものは、当事者ではない私たちが、彼らを見ているだけだから言えることであって、彼らにとってはそれこそが「今の自分」というものだろう。
自分が変化することを自覚するとき、「本当にこれでいいのだろうか」と迷わないはずはない。折木がえるに言われた言葉を笑い飛ばせなかったように。摩耶花が、漫研をやめることを逡巡したように。



ただ、えるの場合はまた違う。
えるは、今まで自由に物事を決められるような身分ではなく、解放も何も望んでいなかったはずだった。しかし急に「今から自由です。これからは自分で決めなさい」と言われるのである。時間の流れの中で変化して行く他の三人とは明らかに違う。
「遠回りする雛」の最後に、自分の決められた将来のために理系を選択した彼女には、自分が自分だけの理由で何かを選択することはなかったはずだ。

折木はそれを、少しは理解していて、でもまるで理解できてはいなくて、推測で他人の領域に入ることを傲慢だと思いながら、えるの扉を開こうとする。
しかし最後まで扉は開かれない。何もしてやれない折木、自分でどうにもできない問題を抱えてしまったえる。やるせない思いを吐露するままに、本書は終わる。


この後味の悪さよ。
私は古典部シリーズを読むとき、自分がそこにいるような感覚に陥る。たいていは、自分が折木の位置にいるような感覚だ。折木が推理をするときは、他の三人の位置。
そしてここでは無論、折木の位置にいた。
友人が何かを抱え込んでいるときに、何もすることができない。自分の力量や技術の問題ではないにしても、己の無力さ、歯がゆさを感じずにはいられない。その後味の悪さをもろにかぶって本を閉じた。


青春小説の典型としては、登場人物がなんらかの事件をきっかけに、葛藤の末に決心や判断をしながら変化し、それを受け止めて成長、めでたし、というものだと思う。
ところが本書は、「なんらかの事件」の段階で終了する。えると折木はまさに葛藤真っ最中である。

だが、そこが古典部シリーズのリアリティだと思う。私には、彼ら四人が本当にこの世のどこかにいるのではないかという気がしてならない。
人生が、そう簡単に葛藤を打ち破って、ある日突然晴れやかな気分、となるはずはない。まさに今、変化の途中にいて、いつそれが終わるともわからない、本当に自分が変わるのかもわからない、それが生というものの難しさなのだから。


久しく私はこの気まずい読後感を味わうことがなかった。またそのような読書体験ができてよかったと思う。この、本を閉じる時の「しんどいなぁ」という感覚が逆説的に、生きようと思えることに他ならないから。







追記:私は里志がとてつもなく好きなので、彼の話がなかったのが残念ではあった。やらなかったしやらないけど、里志だけを追って感想を書けるくらい好きなのです。「クドリャフカの順番」が一番好きだし、「手作りチョコレート事件」は最高オブ最高。そんなわけなので、少し残念ではあったが、登場する時のセリフがもれなく好きだ。
「箱の中の欠落」で遠回りに折木にものを頼んだり、卒業制作に小細工をしたり、折木の読書感想文を、「蒙が啓かれたね」などと言ったり、「わー!里志!!好き!!」である。それだけを特記して追記するくらい好きである。
里志の今後が描かれることを楽しみにしたい。

あと、摩耶花のこと。彼女の気遣いというか人となりに感動してしまう。河内先輩が出てくるんだけど、それだけで胸熱だった。クドリャフカが好きな理由はここにもあって、河内先輩の言ってること、すごく共感できるのだ。その先輩が再び登場して、放つ言葉のこれまた強いこと。